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「 二十歳 」
「狩谷さん、電話ですよ〜」 北九大近くの貞園荘、僕が住んでいるこの学生下宿には電話がない。 おばさんの怒鳴り声が下宿全体に響き、僕は慌てて大家さんの家に駆けつけた。
「代わりました、狩谷です」 受話器をとって、やや不機嫌そうな声を出した。 今日は僕にとって特別な日だ。変に邪魔されたくない。 「荒木です。すぐ例会に出てください」 映画研究会の後輩、荒木。声を聞きたい相手じゃない。 「今日は欠席の届けをしているぞ」 「みんな、待ってます。急いで」 話し方にからかうようなニュアンスがあった。 荒木は1年だが、2浪している。学年が問題なので年齢は無視しているが、本人が不満らしいのは言葉の端々に出ている。 「何か、あったのか?」 「知りません。来れば分かります」 やっぱり奥歯に物が挟まったような言い方だ。 「わかった、すぐ行くよ」 近くなので部室まで10分で行ける。 電話を切って4畳半の部屋に戻り、身支度を整えてから大学に向かった。
今日は、二十歳の誕生日だ。 酒も煙草もやっているから関係ないだろうと言われるかもしれないが、十代から二十代に代わった記念すべき日。 いつもと違う、思い出になる日にしたい。
小倉の北方にある北九州大学。競馬場と自衛隊に挟まれ、学生気質はのんびりしている。 僕がこの大学を受験したのは、市立で学費が安いこともあるが大学案内に映画研究会が載っていたからだ。 オタクに近い映画好きで、高校では同レベルで話しが出来る相手がいなかった。 入学してすぐに入部し、映研が僕の大学生活の中心になった。
校舎のはずれに文化系部室が集まっている木造の建物、青嵐館。二階に映研がある。 講義を受ける時間より、ここに居る時間の方が、絶対多い。 (真理恵さん、いるかな?) 階段を上がりながら、チャンスがあったら誘えないかと考えた。もし1年先輩の真理恵さんとデート出来たら最高の誕生日になる。 (二十歳の誕生日に1日だけ付き合ってくれと頼んだら、優しい真理恵さんのことだから・・) キャンプの時には一緒に歩いてくれたし、コンパで飲みすぎた時には介抱してくれた。 あの時の膝枕は気持ちよかったな・・
映研のドアの前で気がついた。 そうだ、僕の誕生日を祝ってくれる為の呼び出しだ。 去年の北川さんの誕生日は押しかけてお祝いをしたし、憶えてくれてたんだ。 僕は照れくさい気持ちでドアを開け、部室に入った。
固い表情、冷たい視線が僕に集まる。ロの字型に並べた長机で、入口側だけ誰も座っておらず、椅子が一つ置かれていた。 「座れよ、聞きたいことがある」 正面には、会長の北川先輩、副会長の橋本先輩、そして書記で、憧れている真理恵先輩が座っている。右側の席で荒木が嘲るように僕を見ていた。 北川会長に促がされ、僕は被告席に座った。
「月例会なのに今日の参加はこの9人だけだ。2年生は佐藤しかきていない。どういう訳だ?」 呼ばれた理由の理不尽さに驚いた。1年半ので初めての欠席なのに責められている。 「何故、僕に聞くんですか?今日は授業が少ないから学校に来てないんでしょう。みんな届けてるんですか?」 「いや、届けは義務づけてないからな」 「僕は届けてる。それに、例会の出席で言うなら、僕が一番いい筈です。なのに、何故、理由も言わず呼び出して聞くんですか?」 「責めてる訳じゃないのよ、話題になったから・・」 真理恵さんが取りなすように言ったが、頭に血が昇った。 大切な日に、なんでこんな仕打ちを受けるんだ・・ 「届けは出てるが理由を書いてない。来れたと言うことは用事じゃない訳だろう?」 「届けの出てない、他の連中には聞いたんですか?」 「いや、下宿していて連絡がつくのはお前だけだからな」 佐藤、水口、田中、吉田、高峰、そして荒木。例会に半分も出てないやつらが責めるように僕を見ていた。 「もうすぐ役員改選だ。2年生がこんなにだらしないと困る」 「届けは出してます。理由は、個人的な事です。失礼します」 僕は立ち上がって、そのまま振り返らずに部室をでた。怒鳴る会長の声が後を追ったが、戻る気はなかった。
明るい日差しがうつろに感じられる。世界が変わったように思えた。下宿に戻る気になれず、繁華街の魚町行きのバスに乗った。
北川会長と同期の佐藤、それに荒木はグループ誌で仲良くなっている。僕と吉川で始めたグループ誌が刺激になって広がったと喜んでいたが、微妙に部内の雰囲気が変わっていった。
佐藤は同期の2年生だ。映画研究会と言いながら好きなだけで詳しい会員は少なく、知識では佐藤と僕は抜きんでていた。ただ、自信家で要領がよくプレイボーイの佐藤とは気が合わなかった。
北川会長が、どうして最近になり突き放すような感じになったかは判らない。 入部して、同期以外ですぐ親しくなったのが北川先輩だった。下宿派が少ないので、よく泊まり込んで話した。先輩が会長になってからは小間使いのように率先してクラブの行事、企画に協力した。 学園祭、機関誌、コンパ企画、来年こそ映画作成をしようと、脚本書きも始めたが・・
「同じクラブじゃないなら、お前なんかと付き合わない」 コンパで酔った先輩が絡んでそう言い、それから気持ち的に疎遠になった。
結局はグループ誌が問題だったのかもしれない。映画感想を同期に呼びかけて書かせ、映画史や意見をまとめて部内閲覧用にしたのだが、どこかが気に障ったのだろう。
映画を見て、パチンコをして・・20歳の今日は空しく終わろうとしていた。 やはり、これしかないか。ソープランドで童貞を捨てる。 同期の中で未経験は僕だけだ。映画での憧れは現実を否定してしまう部分がある。 出会い、恋愛、そして愛し合う。 映画みたいにいかないことは判っている。別に拘ったわけじゃなく、機会がなかったんだ。 別に、金で女を知ってもいいじゃないか。二十歳の誕生日に、そっちで大人になるんだ。
ぎこちなくソープ街の室町に向かおうとした僕を呼びとめる声がした。 「怖い顔してるから、人違いかと思った」 超ミニスカートに派手な化粧、坂部先輩だ。3年生で去年までは映研だったが、演劇部事件で退部している。
「暇なの、コーヒーでも飲まない?おごるわよ」 「喜んで」 期待で胸が高鳴った。先輩の男性遍歴は聞いている。1年の時には目を掛けてもらったし、うまくいけば相手をしてくれるかもしれない。
演劇部事件で僕は中立だった。部員が少なく、活動に支障をきたした演劇部が共同企画の映画製作と部員の重複在籍を提案し、北川会長は断った。 映画製作は魅力だし、途中からの入部は統制を乱すからという会長の拒絶はおかしいと思ったが、口には出さなかった。北川会長に反発していた坂部先輩は退部して演劇部に入った。 「見てくれた?私達の演劇?」
喫茶店のソファが低く、ちらちらとスカートの奥が覗く。目を輝かせている先輩がまぶしかった。 「見ました。面白いけど、よく判らなかった」 「やってる私にも判らなかったりしてね。あれ、本当にオールヌードなの」 学園祭の演劇、暗い部屋で、舞台装置の洞穴から主役を誘惑するニンフ達、僕は確かに、先輩の美しい姿を目にやきつけていた。
「まだ、真理恵が好きなの?」 グループ誌や、最近の活動を話題にしていたが、ポツリと坂部先輩が聞いてきた。 「別に、ちょっと憧れているだけですよ・・」 下心があるので、つらい質問だ。 「真理恵、佐藤君と出来てるわよ。余計な事だけど」 スゥーっと頭の中のパズルが解けた。僕が真理恵先輩に片想いをしている事は、けっこう知れ渡っている。佐藤と真理恵先輩が繋がって、部内のバランスが大きく変わっていたんだ。 勢力争いに興味はないが、北川会長、佐藤、荒木の線に女性をまとめる真理恵先輩がつけば、中立派はそっちに傾く。 僕は今日の出来事を坂部先輩に話した。
「変わらないわね、映研は」 先輩はバッグから煙草を取り出し、ゆっくり吸った。 「狩谷君が会長になったら変わるかもしれないと期待してたけど、佐藤君じゃ仕方ないわ。狩谷君、グループ誌で映画の芸術性の原稿を書いたでしょう?」 「ええ、反響なかったけど・・」 「あれを槍玉にあげて、荒木君と北川さんがつながったの。娯楽の要素を否定してるとか言ってね。恋人を会長にしたい真理恵がそれに乗った訳」 「そんな馬鹿な!」 佐藤と僕は、イタリア映画とフランス映画のどちらが深いかで意見は分かれているが、少なくとも奴も芸術派だ。 「仲良しクラブでいるには狩谷君が邪魔なのよ」 「僕は・・活動には貢献してきたつもりです」 「誰も感謝してないし、むしろ目障りなのよ。あなた以外には先に進みたいなんて思っていない。現状維持で楽しみたいの。映画はただの媒体ね」 思い当たる事はあった。映画製作、学園祭での監督招致、部内で検討はされたが結局は廃案になった。
「さて、遅くなったけど、20歳の誕生日おめでとう。プレゼントで何か欲しいものある?」 笑いながら先輩が顔を近づけてきた。香水がなまめかしく鼻をくすぐる。 「先輩を抱かせて下さい」 派手な音とともに、頬に火が走った。一瞬、目が眩む。店の視線が僕達に集中するのが判った。 「約束だから私が払うわ」 先輩はレシートをもって僕の方を見ずにレジの方へ行った。肩が震えていた。
二週間、何もせずに部屋で籠もった。映研での二年近くを思い返して一人酒を飲んだ。コンパでの真理恵さんの膝枕、合宿でたき火での合唱、合ハイ、徹夜で作った機関誌。 役員改選の日も動かなかったが、呼び出しの電話はなかった。
久しぶりの部室は全く違って見えた。入ってきた僕にみんなはちょっと驚いた表情を見せる。 壁に新分担表が貼ってあり、会長は佐藤で2年はみんな役員になっていたが、僕のだけは荒木の下にスタッフとして載っていた。その横に、「会長に協力して、新しい映研を作ろう!」という、真理恵さんの檄文が貼ってある。
僕は退部届を佐藤に渡した。 「引き止めても無駄だろうから受け取る」 「そうしてくれ。何も言いたくない」 「時々、遊びに来いよ」 部室を出てキャンバスで振り返った。 何を失ったんだろう?いや、何を今まで信じていたんだろう? 今にも倒れそうな青嵐館が象徴する友情や仲間意識なんて錯覚に過ぎなかったんだ。
肩くみあえば仲間になれる 共に歩めば未来が見える
若さこそが特権だから 失敗も人生の糧
いつか今を振り返り いい思い出と知るだろう
そんな戯言信じない 愚かしさを悔いるだけ
虚しい だけの青春を 美しいとは言わせない
FIN
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