ボギーとつる


 レストランの珈琲を飲みながら、僕は窓際のアベックを眺めていた。年齢的には親子という感じの中年男性と小柄な女の子だが、さっきのモーテルでつるさんがトイレを借りに中に入って、僕が駐車場で待っていた時に出てきた二人だ。
 援助交際とか不倫とか話は聞くが、自分には縁のない世界。しかし、今は席を外しているつるさんと僕はどう見えるだろう?
 チャットでは年齢、環境は関係ないと言われた。商事会社の役員をしている狩人、短大生のあい、そしてご主人が県庁勤めのつるさん。実生活では高校中退でフリーター生活の自分と住む世界が違うのかもしれない。


 「ごめんなさい、電話が長くなって・・」
 テーブルにつるさんが戻ってきた時、僕はもう珈琲を飲み終わっていた。女性では長身のつるさんのワンピースはブラウンで地味な印象を与えるが、表情はさきほど迄の固さが消え、大人の落ち着きを感じさせる。ウエイトレスに紅茶を頼み、僕に微笑んだ。
 「ごめんね、がっかりしたんでしょう」
 「何が?」
 「私、おばさんだから」
 僕は驚いて首を振った。
 「つるさんこそ 僕が口下手だから面白くないんじゃない?車もポンコツのサニーだし」
 それに着古したセーターにジーンズ。まさかこんな高級レストランに入るとは思わなかったし、一緒にいてつるさんは恥ずかしいかもしれない。
 「あら、そんな事ないわ。でもやっぱりチャットと実際は別ね」
 何が、とは聞かなかった。つるさんは僕が描いてたイメージとは確かに違う。つるさんも僕をまったく別のイメージで考えていたんだろう。僕達はそれからあまり話さず、席から海を見ていた。もう一組のアベックが出て行くと店は二人だけになり、紅茶を飲み終わったつるさんはレシートを取って立ち上がった。
 「ねえ、海岸を歩いてみない?」
 「いいね。お供します」
 帰ると言われるのじゃないかと思っていた僕は、ほっとしてつるさんの後に続いた。


 砂浜から岩礁を回り、切り立った崖の下に出た。満ち潮になったら海に沈む場所だ。
 「来て良かったわ。とても素敵」
 海に向かって両手を広げ伸びをするつるさんは、生き生きと輝いて見える。
 「崖の上が自殺の名所?」
 「うん、もう一度考え直せという立て札があるんだって。思い止まろうとした人がそれを読んで飛び込んだという笑い話」
 「下から見上げるのも怖いわね」
 「うん・・気をつけて・・」
 濡れた岩でつるさんが体勢を崩しそうになり、思わず近寄って後ろから支えた。
 「ごめんなさい・・」
 「いや・・」
 腰に手を回し、つるさんの背中が胸に当たる。髪が頬を撫で、振り返ったつるさんの顔が近くにあった。つるさんが僕を見つめたまま身体を捩り、そのまま抱き合うようにして唇を重ねた。


 「もし、私があの崖から飛び降りると言ったら止める?」
 僕は眠くなったと言って、砂浜近くの草叢にハンカチを置いて座ったつるさんの膝枕で横になっていた。勿論、眠れる筈がない。
 「どうしてそんな事を考えるの?」
 「疲れてしまったの」
 つるさんの表情が泣きそうに歪んだ。チャットで家の事はあまり話さないが、ご主人の両親と同居で子供はいないと聞いている。
 「もし、つるさんが飛び降りるならね」
 僕は体を起して、つるさんと向き合った。
 「ええ・・」
 「僕も一緒に付き合うよ」
 「どうして?」
 つるさんが驚いて僕を見つめた。
 「ボギーは若いし、これから素敵な事がいくらでもあるわ。私とは違う」
 「バイトで食いつないでいるだけで何もないさ。生きていても仕方ない」
 「そんな事はないわ」
 高校の時、態度が悪いと言われてクラブの先輩に殴られ、右の耳があまり聞こえなくなった。友達付き合いが下手だった僕は教師にも同級生にも見捨てられて退学した。
 高校中退で耳に欠陥があれば、普通の就職など出来ない。耳の事は隠してフリーターの仕事をしたが、ばれたり誤解されたりで長続きしなかった。
 「つるさんが疲れているって言うなら、僕もこれから先、疲れ続けるだけって気がする」
 「恋人はいないの?」
 「ネクラだって相手にされないよ。僕も遊びの事しか考えてないような女の子は嫌いだし。それに、高校や仕事なんかで対人恐怖症みたいになってしまって。でも、チャットだと文字だけだから気にせずに話せる。だから・・もしかしたらチャットの知り合いとだったら普通に話せるんじゃないかって・・でも・・」
 つるさんの手が僕の頭に伸び、そのまま胸に引き寄せてくれた。柔らかな膨らみに包まれて涙が止まらなかった。
 「ボギーは普通よ。おかしかったのは意識しすぎた私」
 「何がおかしかったの?」
 「だって、素敵な若い男性とドライブだから、恥ずかしくて意識しすぎたの」
 胸が苦しかった。波の音も風も心地よい。つるさんの身体は柔らかくて、甘い香りがする。今は、すべてが許されるような気がした。僕はもう一度キスし、つるさんは目を閉じて避けなかった。
 「私ね・・ボギーの自由が羨ましかった。このまま家庭に縛られて、大切なものを知らないまま過ごしてしまうような不安があったの。もう自分として、女として何もないような」
 「そんな事ないよ、つるさんは魅力的だし。。素敵だよ」
 僕はつるさんを抱きしめた。 
 「つるさんの探してる大切なものって何だろう?」
 「そうね・・ときめき、憧れ、夢・・そういうものかしら」
  そう言って、つるさんは悪戯っぽく正面から僕を見て笑った。
 「でも、今はときめいてる」
 「僕も・・」
 年齢も環境も関係ない。僕の好きなつるさん。
 「もし、私があの崖から飛び込もうと言ったら、ボギーも一緒に死んでくれるの?」
 「うん、つるさんと一緒だったら、いいよ」
 「じゃね・・」
 つるさんの腕が僕の背中に回った。
 「お互いに頑張って生きようって言ったら?」
 「うん、そうする・・」
  つるさんの唇の柔らかさと甘さは何度触れても飽くことがなかった。



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