「四角関係」

 

(1)

 

事件から1ヶ月、捜査は袋小路に迷い込んでいた。

担当責任者として家に帰っても頭の中で事件が渦巻いて眠れない日が続く。

堂々巡りから抜け出すヒントが欲しい。答えは目の前にある筈だ。

深夜3時。私は決意して携帯を手にした。

 

「はい、マコトです」

「夜分すまない。私は」

「根津警部ですね。登録で携帯画面に出ます」

「「ちょっと、話を聞いてもらえるだろうか」

「勿論です。眠れなくて困っていましたから」

 

 屈託のない声に胸が痛む。会った事はないが、弟から話は聞いていた。久留米事件で全身に大火傷を負い障害者となった彼は、携帯に繋いだマイク付ヘッドホンで私と話しながら不自由な体でパソコン作業を続けているだろう。

 

「今、私が担当している事件だが」

「警部の扱う事件なら殺人事件ですか?」

「そう、密室殺人事件だ」

 

3月10日土曜日の夜、10時42分に羽北プリンセスホテルで火災報知機が鳴った。

警備員とボーイが603号室の前に駆け付け、扉を叩いたが反応がない。ドアはロックされていた。

焦げる匂いと煙に警備員がマスターキーでドアを開けようとしたが、中からチェーンが掛かっていた。警備員達はドアを体当たりで開けると床が燃えていて煙が充満していた。ボーイが窓を開け、警備員が消火器で火を消した。煙が収まって床で見つけたのは、バスローブ姿で倒れている男の死体だった。

最初は寝ているところを煙に巻かれた一酸化中毒と思われた。しかし警察が死体を調べてみると煙は肺になく血液から毒素が検出された。

 

「何という毒素ですか?」

「希化水素酸だ」

「千倍程度に薄めれば毒をもって毒を制すで中和剤などに使えますが・・濃度は?」

「原液と思われる」

「それでしたら水飴状態ですね」

「闇ネットでも手に入るのか?」

「苦しまず確実に死ねますから溶液が自殺サイトに流れています。かなり高価です」

 

(2)

 

「男の名は村崎博之41歳。こちらでは名の通った村崎食品の三代目社長だ」

 

 創始者の祖父、前社長の父親を尊敬し、父親がガンで亡くなって社長を継いでからも祖父の社是、父親の方針を守り、役員や従業員に好かれている。優等生でサッカー部に所属し、国立大学を卒業後、平社員で入社した。周囲の評判は良く、二十七歳で母親方の親戚で三つ年下の由紀と結婚。子供はいない。

 

 放火毒殺事件として私が指揮を執り、すぐに被害者の当日の足取りを部下に調べさせた。

 第二土曜日で会社は休み。博之は3時頃まで自宅を出ずにテレビを観ている。サッカーの開幕戦放映が終わり、京都での大学同窓会に出席する妻の村崎由紀を羽中駅に車で送った後に家に戻らず、羽北プリンスホテルへ向かって5時12分にチェックインしている。

 

 「ホテルで若い女性と一緒だった。田島小夜子だ。小夜子は商業高校を中退し、半年前に勤めているクラブの客だった博之の愛人になっている」 

 

 

―田島小夜子(22歳)―

 

 信じられません、社長が殺されるなんて。それも、あの夜のすぐ後なんて・・

あの、ここでの話は秘密にしていただないでしょうか?俊夫さんに判ったら嫌われます。

社長とは・・半年ほど前に成り行きで・・それから毎月二十万のお手当てを頂いています。

週に1度くらいの割り切った関係です。社長も奥様に不満をお持ちでしたが、離婚をお考えではありませんでした。

あの日は、前からの約束だったんです。奥様が京都の同窓会に泊まり掛けで行かれ、社長は翌日ゴルフでした。

私とホテルのロビーで待ち合わせしていました社長が部屋をチェックインされて、食事の後に部屋で・・一緒に泊まらなかったのは、日曜に俊夫さんと会う約束があったからです。

部屋を出る前ですか?えーと、私がバスを使って着替え、社長は次にバスに入って、バスローブで出てらっしゃいました。次の約束をして部屋を出て、外でタクシーを掴まえ、家に帰りました。

 

 

「タクシーの運転手が覚えていた。9時42分に乗車して10時5分に帰宅している。その後、10時半頃に近くのコンビニで買い物をしているのが監視カメラで確認出来た。小夜子の恋人は高木俊夫、羽前医科大学生だ。バイトでクラブのバーテンダーをやっててホステスの小夜子と出来たらしい。経済的に苦しく小夜子に小遣いを貰っていたようだ」

 

―高木俊夫(26歳)―

 

俺は関係ない。弁護士を呼べ!

小夜子の事を聞きたい?あんなバカの巻き添えはごめんだ。

社長との仲を知ってたかって?当たり前だろう。

あいつはバカだからばれてないつもりだろうが、みえみえさ。うん、最初は頭に来たな。二股をかけられたわけだから。しかし、金回りが良くなって、俺にもおこぼれが来る。もともと結婚する気ないし、別れるのを急ぐ必要もないって事だ。

希化水素酸?勿論知ってるよ、専門だからな。大学の研究所にあるかどうかは知らない。俺を疑うなら、証拠を出せよ。ホテルで俺を観たって目撃者がいる?人違いだ、弁護士を呼んでくれ・・

いいよ、判った、話すよ。小夜子と社長が出来てると知って、頭に来て奥さんにちくったんだ。そう、由紀さん。あんないい奥さんがいて、なんで小夜子なんかと浮気するかね。それでまぁ、由紀さんと・・そこんとこは察しろよ。しかし、年上はいい。まぁ、彼女と俺の部屋で、何だ、ハハハ。

それで、由紀さんが社長と離婚する時、浮気の証拠があれば慰謝料が違ってくる。俺も小夜子と別れられる。だから、眼鏡をかけてホテルに張り込み、社長と小夜子の写真を撮ってたんだ。写真を欲しけりゃ、もういらないから渡すよ。

9時半頃かなぁ、小夜子がエレベータから出てきて、外でタクシーを拾った。俺は喫茶室の清算をして歩いて駅に行ったよ。10時の便だ。

 

「大学の研究所に希化水素酸は保管されていた。内部の人間が盗み出すのは可能だが、少量だと判らないらしい」

「闇ネットの希化水素酸をチェックしました。1年間で今回の事件に結びつくような販売はありません」

「俊夫の希化水素酸が使われたと考えていいだろうな。俊夫と関係があったという事で、被害者の妻である村崎由紀も容疑者に加えられた」

 

 

―村崎由紀(38)―

 

田島小夜子?ああ、夫の浮気相手ですね。会った事はありませんが写真で見た事はあります。ええ、高木に見せられました。高木との仲は脅迫されて仕方なしですが、不倫と言われても仕方ありません。離婚?とんでもない、私は夫を愛していました。

土曜日ですか?夫の車で駅に行き、3時の特急に乗りました。京都に着いて、そのまま同窓会場のホテルに行き、同窓会は9時に終わりました。同じホテルに部屋をとっていましたので、仲の良かった友達が集まり盛り上がりました。10時半頃、主人の携帯に電話を入れましたが、出ませんでした。そのまま昔話に花が咲いて徹夜になり、夫の死を知ったのは次の日の朝、会社からの電話です。

 

「博之は10時3分、フロントへ5時半のモーニングコールを頼んでいる。つまり10時3分から火災報知機が鳴った10時42分の間に殺された。しかし、容疑者の三人にはアリバイがある」

「四角関係ですね」

「何?」

「博之さんと小夜子さん、奥さん。高木さんも小夜子さん、奥さん。そして博之さんと高木さん、奥さんと小夜子さんの線は見えない」

「四角関係から博之が抜ければ三角関係か」

「そうはならないみたいです」

 

(3)

 

ドアは施錠され、チェーンが掛かっていた。窓もロックされていたのを消火時の警備員が証言している。部屋のキーと踏み潰されて粉々になった携帯は発見されたが、焼け跡と消化剤で鑑識もお手上げで、火災の原因も分からず仕舞い。村崎は煙草を吸わず、ライターを持っていないしホテルの灰皿に置いてある擦りマッチは使われていなかった。

 

捜査会議で一番有力視されたのが、田島小夜子と高木俊夫の共犯説だ。小夜子が部屋の何処かに俊夫の指示で希化水素酸を仕掛けて出て行く。罠に嵌まった村崎は毒で死ぬ寸前に、助けを呼ぼうとして小夜子から貰った何かで部屋に火を放つ。

 

「希化水素酸の原液なら数秒です。何も出来ないでしょう」

「そんなに強烈なのか?」

「1mgで百匹分のコブラ毒に相当します」

「残るのは、自殺説だが・・」

「二重人格で、一人の時に別人となるケースはあります。鬱状態に陥り、自殺願望に溺れる。ただ今回のケースは該当しません」

「博之が死んで莫大な財産が由利の物となる。由利が俊夫と組み、小夜子を使ったのかもしれない。しかし、どうしても方法が判らない」

「警部は携帯にどんなストラップをつけています?」

「えっ、邪魔になるからつけていない」

「僕のはサッカーボールのミニチュアです。スポンジで、たまに触ります」

「倉庫にサガン鳥栖のサポーターがいるらしいな。ガイナーレ鳥取はJ2に昇格出来なかった」

「村崎さんの携帯ストラップはどんなのだったんでしょうね」

「それは確認していない。燃えたのだろう。携帯自体が粉々だし」

「火で粉々になりますか?」

「消火の時に誰かが踏んだんだろう」

「由利さんの通信はどうでした?」

電話局で通信記録を確認した。途中で切れている」

「どういう事ですか?」

「判らない。村崎は表示で由紀からの電話と知り、電源を切ったみたいだ」

「すると、その瞬間まで村崎さんは生きていたということですね」

 

やっと、マコトが何を言いたいのか判った。ストラップに希化水素酸を仕込む。

 

「ご主人の癖を知っているのは奥さんでしょう」

「やはり俊夫と由紀がグルか」

「いえ、違うでしょう。おそらく俊夫さんは自分を裏切った小夜子さんか博之さんを殺すつもりで希化水素酸を入手したのでしょうが、由紀さんを知ってその気がなくなった。希化水素酸の存在を脅迫に使ったのじゃないでしょうか。そして、高木さんの部屋にある希化水素酸をこっそり盗み出した」

「共犯じゃないという根拠は?」

「当日の行動です。ホテルに行くのは危険で意味がありません」

「そうすると、火災だが」

「携帯にニトログリセリンを仕込めば?」

「どうやって?」

「携帯にはリチウムイオン電池が使われています。電池の持続性を犠牲にすれば難しくありません」

「するとどうなる?」

「衝撃で爆発します。衝撃度合い、爆発規模は量と濃度で調整出来ます」

「由利にそんな仕掛けが?」

「大学で何を専攻されていたんでしょう?」

「調べてみる」

「あの、由紀さんは気性の強い方です。くれぐれも注意してください」

「もちろんだ、ありがとう」

 

解決の糸口が見つかった喜びで、私は重大なミスを犯していた。

 

 

(4)

 

私は二人の部下と村崎家へ乗り込んだ。応接室で由利と向かい合う。

 

「犯人が判りました」

「誰です?」

胸ポケットから用意していた携帯電話を取り出し、テーブルに置いた。小夜子から聞いた型と色で、ストラップにはアニメのトトロに出ていたマックロクロスケが付いている。

「あら、主人の携帯が見つかったのですか」

「このマックロクロスケの中のスポンジに毒を染みさせ細い木片をいがぐりのように入れたとします」

「まぁ、難しいですね」

「ご主人は携帯を取るとき、このストラップを潰す癖はありませんでしたか?」

「ありました、ありました。あの年で幼児性が抜けないんですね」

「それから、裏の電池入れの電池にニトログリセリンを入れました」

「どうなります?」

「衝撃で携帯が爆発し、燃え上がります。棘の痛みで携帯を放り投げるか、そのまま床に倒れるか。どっちにしても爆発するでしょう」

「凝った細工ですね。そうすると仕掛けた人が犯人」

「私は、貴女しかいないと考えています」

「私は広島に居たんですよ」

「ええ、その場にいる必要はなかったのです。あなたは広島からご主人に電話を入れた。ご主人は携帯をとり、癖でアクセサリーを握った。ご主人は倒れ、携帯は爆発してオフ状態となった」

「どうして、私なんかにそんな細工が」

「京都大学の理工学部を卒業されてますね」

「根津警部さんでしたわね」

「はい、そうです」

「面白いわ。頭のいい方ね」

「恐れ入ります。それにしても携帯です。いつ、誰から掛かってくるか分かりません。駅までの車では、もし掛かれば貴女が横から取る事が出来た。その後は不確定な状況です。誰かから運転中に掛かってきたかもしれない。この場合は交通事故となって、好都合だったでしょう。巻き添えになる車があるかもしれないとは考えなかった」

「主人の携帯番号を知ってる人は限られています。確率から言えば、何もない方が高い」

「次の日のゴルフメンバーから連絡で架かってくる可能性はあった。ともあれ、結局は携帯に何もなく貴女の電話での犯罪となりました。密室は偶然です。小夜子さんも一緒に泊まると思われていたんでしょう?」

「証拠は?」

「家宅捜査をします」

「どうぞ、いくらでも。煙草を吸っていいかしら」

「ここは、貴女の家です」

 

由利は服のポケットから煙草の箱を取り出し、1本抜き出して指に挟んだ。

 

「警察に連れていかれたら、なかなか吸えなくなるでしょうね。結婚してからずっと禁煙していました。主人が煙草を吸う女を嫌うの。小夜子さんでしたっけ、彼女も吸わないでしょう?」

「ええ、確か」

「それで、私が主人を殺したのなら動機は?」

「それは・・」

 

遺産狙いと言い掛けて、私はマコトの抑えた声を思い出した。注意するとは何を?由紀は嘲笑うような表情で私を見ている。

 

「自分の愛を裏切った復讐です」

「正解」

由紀はにっこりと笑った。

 

「あの人は欲しがったけど子供が出来なかった。だから他の女を抱いた。私は家政婦で女ではなくなっていた。元はレイプとは言え、他の男に抱かれた。もう耐えられなかったの」

「署へ同行願います」

 

やっと自白した。安心感で私は油断してしまった。

 

「主人は煙草を吸う女が嫌い」

由利は楽しそうに火を点けず、指に挟んだ煙草を見詰めていた。

「もうすぐ会えるから、この煙草も吸えない」

 

由紀の手から煙草を奪おうと跳びついたが遅かった。由紀は煙草のフィルターを握り締め、そのまま後ろに倒れた。

 

(5)

 

犯人に目の前で自殺されたのは失態であっても、県警内部では事件の解決を評価された。

弟には一部始終を話し、罵声を浴びた。

「マコトはなぁ、あんな体になっても誰も恨まず、生きる価値を訴えて自殺防止に人生を捧げている。学校の苛め問題で確かに兄貴の力を借りた、だけど久留米のマコトには関係ないじゃないか」

「だから、最初はマコト君からお礼の電話が来て・・」

「その時の会話で事件解決のヒントを貰ったんだろう。それに味をしめて、また巻き込んだわけだ」

「いや、まぁ・・否定はしない」

「自分が関わっての自殺は、マコトにとって消えない傷として残るんだ。マコトはちゃんと警告したんだろう?」

「ああ、ただ勘違いして・・」

「勘違いで済むか!」

 

言い訳のしようがない。私はその夜、マコトの携帯に結果を報告した。

 

「すまない」

「いえ・・」

「フィルターに希化水素酸が針と仕込んであった。後追い自殺、いや無理心中だったのかな」

「会社や家名の事を考えたのだと思います。本当は四十九日の法要か初盆を過ぎてから自殺されるつもりだったでしょう。警部の責任ではありません」

「死ぬ前、彼女は嬉しそうだった」

「誰かに自分の気持ちを理解して欲しかったんです」

「マコト君なら、彼女の自殺を思い止まらせたかな」

「判りません。ただ、生きる事が償いだとは言ったでしょう」

「マコト君は・・」

「えっ?」

「いや、何でもない。また電話していいかな」

「勿論です、お待ちしています」

 

マコトの生きる意味は奉仕なのだろうか。自分は・・

また眠れない夜が続きそうだった。