「MAYA」


 九州自動車道を降り、途中で道を間違えたが何とか約束の時間に博多駅へ辿り着いた。福岡は学生時代によく遊びに来たものだが、変わり過ぎて地図を見てもよく判らない。とにかく車を止めてチャットで聞いたマヤの携帯に連絡を入れた。


「どのへんなんですか?」
「新幹線側のロータリー近く。僕の車は和泉ナンバーのチェイサーで色はシルバー。携帯を持って立っているよ。」
「判りました。すぐそちらへ向かいます。」

 
 車を降りて駅の方からの人の流れを眺めた。日曜という事もあって通行人は多い。待ちながら胸がときめく。考えてみれば30を過ぎた家庭持ちが若い女性と待ち合わせるなんて滅多にあるものではない。話に聞くテレクラのデイトというのと似ているのだろうか?それだと、近くまで来て値踏みし、そのまま逃げられる可能性もあるな・・

 チャットで話しただけのマヤと僕は勿論初対面で、ネットで知り合って2週間しか経っていない。24歳で主婦、2歳の女の子がいるそうだが、特に親しくチャットをしていたわけではない。タンネットで愚駄と喧嘩しスガネットのチャットルームに移ったが、常連の一人がマヤだった。


 三日前のチャットルームは関西オフの話で盛り上がり、参加していない僕とマヤ、翔は理由を作ってメンバーモードを組んだ。


(MAYA)東京や大阪の人はすぐ会えるからいいなぁ。九州だと誰もいないんだから。
(ジミ)僕は長崎だよ。
(MAYA)そうなの?私は大分。いいわね、オフしようか?
(ジミ)日曜なら都合つくよ。子供は最近手がかからないし。
(MAYA)何だ、ジミって家庭持ちなのか。
(翔)MAYAだって、子持ちじゃないか
(MAYA)おっと、公然の秘密をばらしたな!気持ちは独身、所帯じみてないもん。
(翔)いいじゃん、オフすれば。
(MAYA)でも、長崎と大分って遠いのよ。
(翔)中間で会えばいいさ。福岡なんていいんじゃない?
(MAYA)よーーし!ジミ、オフしょうか?
(ジミ)いいよ。車で高速を行けば福岡も近いし。
(翔)よし、決定だな。後でオフの内容を報告してくれよな(^○^)

 マヤは知らないようだが、タンネットは九州人が多い。何回かオフに参加して既婚者という事で浮いてしまう時もあるし、安心出来るからと若い女性に頼られた事もある。ただ女性と二人でのオフは初めてだった。マヤはまだオフ未経験で憧れていたらしい。


 人の流れから一人、こちらに向かってくる女性がいた。ブラウンの落ち着いたワンピース、髪はストレートで顔立ちはELTの持田香織に似ている。緊張しているのか表情が強張っていた。

「ジミさんですか?」
 僕の前で立ち止まり、彼女は小さな声で聞いてきた。
「うん、マヤだね。初めまして。」
「ごめんなさい、私、こういうの慣れてなくて・・」
「僕だって慣れてないよ。これからどうする?」
「あの、任せます。」
「じゃ、適当に走ろうか。」

 
 福岡ドーム付近に行く予定だったが空港付近を走り、戻ろうとして渋滞に巻き込まれ、空いている道に逸れて完全に迷ってしまっった。マヤも福岡は詳しくなく、地図で現在地は判ったが周囲に面白そうな所はないようだった。


 車の中でマヤとの会話は噛み合わなかった。僕自身は女性の多い職場で慣れているし話題も豊富な方だと思うが、マヤは僕の話に別の事を言い出して断ち切ってしまう。それでも僕は彼女とのドライブを楽しんでいた。
マヤは本来、人見知りをする引っ込み思案のタイプなんだろう。彼女なりに合わせようとして一生懸命なのだが、空回りをしている。気持ちが伝わってくるだけに新鮮な印象を持った。

 ファミレスのジョイフルで昼食をとり、何とかマヤの固さを取ろうとしたが、僕のオヤジギャグも空振りを続けていた。
「あの、失望しました?」
「何に?」
「男の人って、チャットの女性を理想化してイメージするっていうから」
 確かにチャットで活発な姉御肌のマヤをイメージしていた。しかし実際とのギャップについては慣れている。
「マヤは僕のイメージ以上だよ。マヤこそオジンでがっかりしたんじゃない?」
「いえ、私って想像力ないから・・」
 意味不明の事を言ってマヤは俯いた。食後のコーヒーを飲み終わり車に戻ったが、今度はマヤは無口になり気のない様子で相槌を打つだけになった。


「大宰府天満宮が近くだよ。傍に遊園地もあるし電車の時間まで遊ぶのに丁度いいんじゃないかな。」
「ええ、いいです。」


 3号線は意外に流れて走りやすかった。見知らぬ同士が親しくなるのって難しいなと思いながら暫く沈黙が続き、マヤがとんでもない事を言い出した。


「あの、ジミさん、私を抱きたくありません?」
 一瞬、意味が判らなかった。マヤは相変わらず固い表情で前を見たままだ。
「それは・・僕だって男だから。」
「それなら、どこかモーテルに入ってもいいですよ。」
「どうしたの?無理しなくていいよ、こうやってドライブしているだけでも楽しいんだから。」
「男の人が我慢しているの見るのってつらいんです。私は本当に構いません。」
 マヤの声が震えている。いつからそんな事を考えていたんだろう?
「何か、勘違いしてないかな。」
「私、セックスって好きじゃないんです。でも、男の人が喜ぶのを見るのは好きです。」


 マヤの緊張の原因はそれだったんだ。男は女の身体を目当てにしていると思い込んでいる。チャットの二人オフってそういうものだと聞かされたのだろうか?僕にはそういう気持ちは全くなかった。しかし、ぎこちない会話を続けるよりホテルに入った方が楽しいに決まっている。


「じゃ、走っていてホテルがあったら入るよ。」
「ええ、いいです。」


 探すと見つからないもので暫くカーステレオだけのドライブが続いた。大宰府を通り過ぎ、鳥栖付近まで走る。夕方にはマヤも大分に帰らなければならない。
「あそこ」
 マヤの指さす方にホテルの看板が見える。頷いて僕は車を左車線に寄せた。


 適当に派手で適当に安っぽい部屋だった。僕は運転疲れをしていたし、マヤも気疲れしていたと思う。僕たちはダブルベッドに服を着たまま横になり、そのままのんびりした。目を閉じると眠ってしまいそうだ。
「お風呂にお湯、入れますね。」
「うん、お願い。」
 マヤはベッドから離れると、ちょっと躊躇い服を脱ぎ始めた。後ろしか見えなかったが下着になるとクロゼットから浴衣を出して身につけた。彼女が浴室に行ってから僕も起き上がって浴衣に着替える。浴室と言ってもガラス張りでマヤの姿は部屋から見えた。
「もういいわ。先に入る?」
「一緒に入ろうよ。」
 ガラス越しにマヤは僕を見て微笑み、頷いた。さきほどまでとは別人のような、リラックスした表情だった。

 浴室で戯れ、ベッドで抱き合った。僕は結婚してから妻以外の女性を抱いたことはない。妻に不満はなかったし、子供との生活を大切にしたかった。もともと性欲が強い方でもなく、不倫願望などないつもりだったがマヤとのセックスは新鮮で潤いがあった。マヤは妻と比べると大柄で痩せ気味だが胸は大きい。恥らうように身体を硬くしていたが、素直に求めに応じてくれる。僕達は優しく愛し合い、一つになった。


「駅に4時までに行ける?」
 部屋を出る前に口付けをした後、心配そうにマヤが聞いてきた。
「車で大分まで送っていくよ。高速の方が早いと思う。」
「それだとジミが遅くなるんじゃない?」
「仕事で遅くなるのは慣れてるから大丈夫だ。」
「お願いするわ。」
 僕は自然にマヤの腰に手を回し、マヤも身体を寄せてきた。もうオフではなく、恋人同士のデートであり二人の時間を少しでも引き延ばしたい。
マヤにもその気持ちは通じていたと思う。


 鳥栖から九州横断道路に入り、午前中が嘘のように話は自然に流れた。
チャットルームの常連の噂から、僕のハンドルの由来、タンネットから移ってきた理由など、話題に事欠かずマヤもよく笑い熱心に話した。


「ジェームス・ディーンが好きでね。それでジミーにしたんだけど愚駄が年代詐称になるからジミで止めろって変えられた。」
「地味な性格だからジミなのかと思ったわ。」
「でも、ナンパメッセージが来る事もあるんだぜ。ミを美と読んで女性と間違えるのかな。」
「私にも来るわ、ナンパメッセージ、きついお返しメッセージで返してやるの。センス磨いて出直してきなとか、ソチンの餓鬼は退屈とか。愚駄さんとはチャットした事ある。どうして喧嘩したの?」
「愚駄がいるルームに入って、一緒のうりという初対面の相手を男と思い込んでいたんだ。知り合いに同じハンドルがいたから。つい調子に乗って話した事でうりが傷つき、愚駄が怒ったんだけど・・愚駄は愚駄で、僕がうりを女性と知ってからかったと思ってる。」
「文字だけって難しいわね。こうやって会えば相手が判るけど・・」
「文字で愛憎渦巻く不思議な世界さ。マヤは翔が好きなんだろう?」
「判る?」
「うん、別に僕は翔の代理でもいいけど。」
「違うわ、翔は翔、ジミはジミよ。私達、ネットで知り合ってよくアベックモードをやったわ。愛し合っていた筈なのに、彼女が出来てから翔は変わった。」
「だって、マヤには家庭があるし、翔と会った事はないんだろう?」
「私にとって家庭は嘘の世界。考えたくないわ。別に結婚とかそういう事じゃなくて翔との世界を持っていたかったの。でも、翔は逃げている。」
 マヤは熱心に翔とのことを話した。ビギナーが親切に指導してくれた相手を好きになるのはパターンだが、マヤは結婚している事を秘密にしていたらしい。女同士でうっかり洩らしたのがチャットルームで広がり、翔に判ってしまった。


「翔はショックだったみたい。でも、チャットは嘘は駄目だけど言いたくない事は隠してもいいと言ってたのは翔なのよ。」
「確かに、年齢とか仕事とかチャットでは言う必要はないと思う。パソ恋だってネットの中だけなら既婚未婚は関係ない筈だね。」
「そうでしょう?翔が怒るのは矛盾してるわ。」
「でも、ネットから現実の世界に出るとすれば問題は別だよ。会いたがっているのはマヤだろう?」
「でも、前は翔が会いたがっていたのよ。ねぇ、現実って一つだけのなの?」
「本当に割り切れれば幾つかの世界が持てるかもしれないな。」
「そう、翔にはそれが出来ないの。真面目と言うより単細胞なのよ。」


 確かにマヤと寝たのも、こうやってドライブしているのも現実だ。僕は左手をハンドルから離してマヤの肩を抱いた。マヤは逆らわず身体を寄せてくる。今、僕はマヤに惚れている。しかし別れて家に帰れば変わらぬ日常が待っているし、妻と子供との生活優先が変わるわけがない。今は別の現実と考えればいいのだろうか?

 大分道の出口が近づき、パーキングエリアの端に車を止めて僕達は抱き合い、キスをしていた。
「今夜、チャットに入る?」
「無理だろうね。明日が早いから。」
「じゃ、オフの報告は私がするのね。ジミは中村雅俊タイプの素敵なおじ様だったと言っておくわ。」
「じゃ、明日は僕がマヤは飯島直子タイプのスタイル抜群、超美人と話すよ。」
「松嶋菜々子にして欲しいけど、まぁいいか。」


 自動車道を降り、マヤの指示通りに走らせて大通りから細い道に入り彼女の家の前で止めた。まだ新しい一戸建てで表札には田島と出ている。握手し、硬い表情でマヤは車を降りた。マヤにとっても新しい現実から日常に戻る瞬間なのだろう。車を走らせ、僕も日常に戻らなければならない。

 マヤとのオフが現実ならチャットも別の現実だった。僕達は会ってドライブと食事をしただけになっており、常連は別に疑っていない。翔とマヤの仲のよさは皆知っていたし、チャットルームで僕はマヤの知り合いから友達に昇格しただけだった。


(MAYA)私、絶対に翔と会うわ。やっぱり翔が一番好きだから。
(ジミ)僕は何番目?
(MAYA)二番目。でも三番目はいないの。私、友達に順番なんてつけられない。みんな同じように好きよ。
(ジミ)この前、翔にマヤの事を聞かれて、素敵な女性だったと答えておいたよ。翔も本当はマヤに会いたいのさ。
(MAYA)私は翔に彼女がいてもいいの。ただ、私と一緒の時には私の事だけを見ていて欲しい。私の考え方っておかしい?
(ジミ)いや、自然だと思うよ。


 別に翔に対する嫉妬心はない。むしろ翔とマヤの仲がうまくいけばいいと思っていた。翔は中学の教師で、ネットには生徒と同じ年代の参加者もいるからと気を使って職業を秘密にしている。知っているのはマヤと僕だけだろう。翔は僕を信用してくれていて、自然両方の相談相手になっていた。

(翔)マヤは、日曜に東京に行くから会ってくれと言うんだ
(ジミ)嫌なのかい?
(翔)マヤにはご主人も子供もいるんだよ
(ジミ)会うだけならいいんじゃないか?
(翔)会ってどうなる?どうしょうもないじゃないか
(ジミ)翔には恋人がいるんだろう?
(翔)マヤにはいると答えた。ジミ、僕もマヤには惹かれているけど不倫なんて許されない。マヤの気持ちも僕の気持ちも抑えなければいけない。
(ジミ)もし、マヤが離婚すると決めたらいいのか?
(
翔)僕は、普通の恋愛をして普通の結婚がしたいんだ。
(ジミ)ネットの恋愛と実際の生活は別?
(翔)そういう意味じゃない。うまくいく筈ないから踏み出せないんだ。
(ジミ)正解だろうな
(翔)皮肉かい?
(ジミ)いや、本気だ。無理をすればすべてが駄目になり不幸になるかも
(翔)うん、マヤは思い込みが強いけど、判ってくれると思う

 結局、マヤは翔に振られた。しかし、断った翔と断られたマヤのどっちの方がつらかったのかは判らない。ショックからか、マヤの姿がチャットルームから消えた。僕は戻ってくるのを待っていたが、タンネットに移ったという話を聞いて諦めた。マヤはスガネット全体を切り捨てたんだ。つまり、僕とも話したくないということだろう。チャットのメンバー入れ替わりは結構早い。いつのまにか僕も古株となり、翔もあまり顔を見せなくなった。

 スガネットとタンネットは提携しており、行き来する事が出来る。タンネットの情報は結構スガネットに入ってくるが、マヤがセンターからID取消処分を受けたという話が伝わってきた。そしてセンターにメールで追放を訴えたのは愚駄だという。僕は久し振りにタンネットへ乗り込んだ。

(愚駄)マヤの事か?お前にどんな関係がある?
(ジミ)マヤとはスガネットで友達だった。オフで会った事もある。マヤはいい子だよ、彼女が何をしたと言うんだ?
(愚駄)男をオフに誘って、すぐホテルに行く女だ。人妻がネットを使ってそういう事をすれば雰囲気が乱れるのは当たり前だろう?
(ジミ)それは・・そうだったのか?間違いなく
(愚駄)本人が認めている。でも、彼女にそうさせたのは誰だ?
(ジミ)誰って、マヤはタンネットで失恋して、自棄になったのだと思う
(愚駄)お前だよ、お前がマヤにそうさせたんだ
(ジミ)何を言ってるんだ?
(愚駄)何故マヤの気持ちに応えてやれなかった?何故、彼女を追ってタンネットに来なかった?お前がいないから、マヤはお前との楽しかったオフをもう一度味わいたくて男連中とオフをしたんだ。すべてお前が悪い
(ジミ)愚駄は勘違いしている。マヤが好きだったのは俺じゃない
(愚駄)翔だと言いたいのか?マヤは駄目だと判っていた。けじめをつけたかったんだ。翔が消えればお前が残る。しかし、お前は何もしなかった
(ジミ)待て、意味が判らない・・
(愚駄)判っているのさ、本当は。自分を誤魔化しているだけだろう
(ジミ)誤魔化しているのは愚駄だろう?何故、マヤの事が判っているなら追放なんてセンターに訴えたんだ?                
(愚駄)俺は若い連中の嫌われ者だからな。そういう噂が広がっても皆信じるだろう。男連中にもてるマヤに嫉妬して女連中が示し合わせてメールを出したのさ。マヤは同じ相手とは二度とオフしないから男連中も庇わなかった
(ジミ)しかし、本当にマヤは誰とも寝てたのか?
(愚駄)マヤにとって友達はみな同じなんだ。そして、友達を欲しがっていた。翔とお前以外は同列だから、誰ともになってしまうんだ。
(ジミ)愚駄もマヤとオフをしたのか?
(愚駄)俺は友達にもなれぬ相談役さ。だから、いろいろと聞いた。マヤの家庭の事も。ジミ、マヤの家を知っているのはお前だけだ。最初からお前は特別だったんだよ。
(ジミ)だから?
(愚駄)彼女に、現実の彼女に会えるのはお前だけってことさ。
(ジミ)待て、話が飛躍している
(愚駄)お前も逃げるのか。彼女に支えとなるもう一つの現実を与えてやらないのか
(ジミ)俺には・・家族に責任がある
(愚駄)話すだけ無駄だな。去れ!お前とは絶交だ!

 僕はネットから落ちた。許されるなら愚駄が言うように大分に行ってマヤを抱きしめたい。しかし、自分の想いだけで日常を壊すことは出来ない。マヤにとって家庭は逃れたい現実のようだが、僕にはかけがえのない大切な現実なんだ。彼女は好きだが、恋人になる事は出来ないし、オフは楽しい思い出でいいじゃないか。

 気持ちの中に怒りがあった。それは、僕が一歩踏み出すのを待っていたマヤの気持ちを汲み取れなかった自分自身ではなく、楽しい思い出を汚すように他の男と寝たというマヤへの怒りだった。

「ま、仕方ないか・・」


もう、僕に出来るのは忘れることだけだった。

END