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「紅い国のスパイ」
大阪の西成区にある築30年モルタル造り2階建て15部屋の安アパートが防衛庁直轄秘密諜報部関西支部と知る者は政府でも限られている。 陸軍中野学校とかの伝統を受け継ぐ由緒正しい機関で、スパイ天国と呼ばれるようになった日本の国家機密を外国の諜報部員から守るのが任務だ。「防諜」とか「諜報」と略されるが、世界の諜報機関では「チョンボ」と呼ばれて恐れられている・・らしい。
僕は防衛認可証を持つ支部の秘密防衛工作員である。 コードネームは「二ロー」、大学の先輩のコネでこの組織に就職したのだが、名付け親の先輩は現役で通ったのがよっぽど自慢らしい。どっちみち無名私立大学なのに・・
先輩のコードネームは「零」である。堺の浜寺公園に毒蜘蛛を放った北朝鮮の工作員を大阪湾に沈め、O−157で細菌戦争を仕掛けたイラクの組織を壊滅させた敏腕工作員ということになっている。 パソコンのエロゲームが好きな先輩にそんな活躍が出来るとは想像出来ないし、どうも似たようなストーリーがコバルト文庫にあったような気がする。おそらく幹部連中はそんな本は知らないだろう。闇の世界に証拠はいらない。報告書は国家機密とされ、先輩は支部長に出世した。
我々の任務は苛酷で重要な筈だ。ただ自衛隊と同じく有事には期待されるが、平和だとする仕事はない。ノック知事セクハラ事件を韓国の陰謀説としてレポート提出したが、記者会見の内容と矛盾してボツになった。 そもそもこの仕事に情報収集は欠かせないが、なんで新聞代が経費で落ちないんだろう?勿論ハイテクの先端を行くスパイの世界でパソコンは必需品である。 裏社会で活躍する我々の勤務は夜の11時から朝の8時までが主体だ。テレホーダイの時間と一致するのは偶然と思いたい。
「極秘指令・・読了後削除する事
難波3丁目2−3快楽ビル4階のクラブ「愛愛」は中国スパイ組織のアジトと判明。ただちに侵入し組織を調査する事。任務に失敗、もしくはトラブルになっても当支部は一切関知しない。
零より」 インタネで世界情報を確認していた早朝、メールが到着した。 ネット美人コンテスト参加の可愛い女の子のHPだったが、勿論仕事が優先である。支部である零先輩の部屋は一階の入口前、僕の部屋は2階の一番奥にある。 何故直接行って話さないかと言うと、秘密組織だから二人の関係も秘密なのだ。もう一つある。勤務時間の深夜や明方に出入りしている所を他の住人に見られたら、どう誤解されるか判ったものじゃない。 アパートの家賃は重要な組織の収入だし、変な噂をたてられたら気持ち悪いじゃないか。
僕は早速レスを送った。
「RE.極秘指令・・読了後削除する事
侵入する方法と調査する方法を教えてください。失敗した時はどうすればいいんでしょう?
ニロー 」
「自分で考えろ!
俺は本部に言われて指示するだけだ。成功を祈る。 零より」
「RE.自分で考えろ!
じゃ、経費はどれだけ認められるんですか?クラブに客として侵入するとかなりかかると思いますが・・ ニロー 」
「工夫しろ!
この作戦に予算はついていない。ここから歩ける距離だから交通費も出ない。機密傍受を防ぐ為にこれ以上の通信は危険だ。早速行動するように。 零より」
諦めるしかなかった。 秘密組織だから労働組合はないし、横暴だと基準監督署に訴える事も出来ない。 別に給与が良いわけでもなく税金、社会保険、家賃代を差し引かれて生活するのがやっとだが、この不景気に失業するとどうなるかは目に見えている。 部屋を出ると、僕は零のいる支部の前でわざと大きく足音をたてながら外へ出た。
考えてみたら早朝にクラブに行っても営業しているわけがない。 日本橋の電気街も11時からだしパチンコ屋だって開いてない。とにかく道頓堀で金龍のラーメンとどっちにしようか迷ったが吉野屋の牛丼を食べ、快楽ビルを探した。 ちょっと路地に入った、それほど立地条件のいいビルではないようだ。 5階建てで掲示板には20の店名が並んでいる。3階にクラブ「愛愛」の名前があった。 ともあれ怪しまれないように注意しながら非常階段を上る。エレベータやビル内の階段だと隠しカメラに写る可能性があるのだ。しかし外壁に沿った非常階段を使う方が怪しいに決まっているような気もする。
店はすぐ分かった。ハートのマークを使ったデザインで「会員制クラブ・愛愛」と扉に書いてある。 判らないのはその下に「初めてのお客様、大歓迎」と書いてある事だ。じゃ、会員制って何だろう? とにかくノブを試しに回して引くと、簡単に開いた。ソファーにテーブル、カウンター、絨毯は赤だ。中国のメインカラーは赤だから、これは怪しい。
「誰?何の用?」 奥の方から現れた女性を見て、僕は確信した。確かにここは中国情報部のアジトだ。その証拠にこの女性は赤いチャイナドレスを着ている。 「あの、僕は、実は・・・」 「そう、バーテン見習い希望ね。経験はあるの?」 「いえ、ありません。」 「お酒は強い?」 「いえ、飲めません。」 「履歴書は持ってきた?」 「いえ、持ってきてません。」 「そう、じゃ採用よ。仕事は夕方の6時から朝の6時まで、日祭日は休み、給与は月20万、いいわね?」 「はい、よろしくお願いします。」 潜入成功、やはり僕には工作員の才能があるのだろう。 しかし、副収入が20万だ。スキャナーが買える、デジカメが買える、任務が長引けばDVDも格安パソコンだって買えるじゃないか! 勧められてソファーに坐ったが、冷静なプロの目は落ち着きなく女性を観察した。年齢が25、6に見えるという事は、おそらく30前後、芸能人にたとえれば太陽とシスコムーンのルルに似ている。 彼女も中国人だから、絶対怪しい。ついでに言えば、僕の好みである。
「私ね、黒澤監督の映画が好きだから店は7人に決めているの。あなたの呼び名は三十郎にするわ。いいでしょう?」 チャイナドレスで足を組まれると目のやり場に困る。もしかしたら下着をつけていないのかもしれない。 もう少しでそれが判るんだけど、ぎりぎりで止まっている。 「あ、でも僕はまだ20代ですし、用心棒じゃなくバーテン見習いですから偉そうな呼び名は・・」 「それもそうね。じゃ、縮めてサンローにするわ。三船敏郎にも通じるし、決定ね。」 ニローがサンローになるのは出世だろうか? 契約成立で外に出て、僕は小さなミスに気づいた。彼女の名前を聞き忘れていたのだ。これでは報告書が書けないじゃないか・・・
敵組織に潜入し、機密を探るのは緊張をはらんだ仕事だ。身分が発覚すれば命はない。信用される為には役割に成りきらなければならないのだが、僕の順応力は天才に近いのではないだろうか? アジトならば客や店の女性を疑わなければならないのだが、バーテン修行に熱中してその余裕もない。本来の目的に戻ったのは、営業期末報告書の提出期限が近づいてきたからだった。
店に勤めている女性は6人で、愛、舞、未唯、風子、亜子、夕子である。名前が暗号になっている可能性もあるが、アイ マイ ミー、フー アー ユーでは英語ではないか? 僕を採用したチャイナドレスの愛さんがママで、舞さんと未唯さんは主婦パート、風子、亜子、夕子は女子大生という事だった。 客がいない時は雑談に花咲くが、どうも不自然なところが見つからない。とにかく問題は愛さんだ。僕は油断なく見張った。決してチャイナドレスのスリットだけではない。
「サンローちゃん、評判いいわよ。一番早く出てきて準備するし、ちゃんと戸締して帰るんだもんね。もっとも目的は判っているけど。」 いつものようにカウンターで在庫調べをしていた僕に、入ってきた舞さんがからかうように話しかけてきた。仕事を思い出した僕は一人の時に店内を調査しているのだが、見られたのだろうか? 「目的って・・誤解ですよ。違います、濡れ衣です!」 「あら、みんな知ってるわよ。愛姉さんを狙ってるんでしょう?姉さんだって気がついてるわよ。」 「あ・・そうですか」 しかし、店は調べ尽くしたし、怪しい客もいない。 もし本当に愛さんが中国の工作員とすれば、機密は愛さんのマンションの方に保管されている可能性が高いだろう。 もう報告書提出期限は今週末である。僕は綿密な計画を立てた。後は天まかせである。
「あの、雨が・・」 天気予報は当たった。皆が帰り、愛さんと二人だけになると僕はさりげなく計画を実行した。 「降ってるわね。こういう日って取締りが多いのよね。」 「ママは少し飲まれましたし・・」 「そうね、捕まったら嫌よね。」 「僕が・・」 「運転してくれる?お礼に部屋で美味しいもの食べさせてあげるわ。」 「はい」 作戦成功、僕にはやはり工作員の才能があるのだ。
新御堂筋を走り、千里に愛さんの高級マンションがあった。まさにピンキリである 。同じ仕事をしているとすればこの格差は何だ? 日本と中国の経済力の差なら、なんで中国人は密入国するんだろう? 広い居間に通され、愛さんが着替えに寝室へ行くと、僕は活動を開始した。 額縁の裏には何もない。サイドボードの後ろにも何もない。天井も怪しいところがない。しかしこういう所に機密書類を隠すのは素人である。研修でシャーロックホームズを読んだ僕の目は欺けない。 諦めてソファーに坐った僕の目の前のテーブルにその書類はあった。
「コーヒーでいいわね。おいしいケーキがあるの。」 仕事用の赤いチャイナドレスから普段着の白いチャイナドレスに着替えた愛さんが戻ってきたが僕は心を鬼にして彼女の前に書類を突きつけた。 「中国の諜報員、この書類が動かぬ証拠だ。観念するんだな。」 「その書類が読めるの?」 愛さんはゆっくりとコーヒーに砂糖を入れている。きっと、毒だ・・ 「砂糖は何個?」 「ブラックで・・」 僕はこの危険な罠を見事に乗り切った。あれ?すると愛さんの方に毒が・・ 「バイトでやってるポケモンの台本の翻訳よ。アメリカでヒットしたから中国でも放映される予定なの。原稿料は安いけど好きだから。」 にっこり笑って勧めるコーヒーを啜る。苦かった・・ 「えっと、でもそれはママが中国人だからだろう?このバイトが動かぬ証拠だ、観念するんだな。」 「そうよ、私は中国の情報部員よ。」 愛さんは妖艶に微笑み、チャイナドレスのスリットに手を入れた。色仕掛けは通用しない、思わず目を閉じたが、開いたときには彼女の手に拳銃が握られていた。考えてみたらガータにナイフか拳銃は定番だったな・・
「待て、何でも話す。どうか殺さないで!」 僕はその場に土下座した。恥でも何でもでもない、僕には防衛認可証がある。勝ち目のない戦いはしないのが防衛庁の伝統なのだ。 「聴く事はないわ、ニロー。あなたの組織についてはあなたより知っているんですもの。」 秘密のコードネームがばれている。つまりは、絶体絶命の危機だ。 「何でもする、許して・・」 「本当に何でもする?誓う?」 「勿論です。逆スパイでも二重スパイでも、肩もみでもします。約束します。」 「そう、じゃ私と結婚して」 「へ?」 思わず顔を上げて愛さんを見る。 「日本国籍があると便利なのよね。それに日本の諜報部に潜り込んだとなれば評価は上がるわ。幹部は日本の諜報部の実態を知らないから。」 「実態と言うと・・」 「防衛庁幹部の天下りと予算消化の為にあるようなものだわ。そもそも日本に国家機密なんてないの。インターネットで国家機密と検索すれば誰でも見れるわ。」 「じゃ、中国の対日本情報組織だって無意味じゃないか?」 「そうなの、それが判れば私は転勤よ。折角店も軌道に乗ったのにもったいないじゃない。私たちが手を握って組織を守るのよ。お互いの組織の事を脚色して小出しに流せば上は満足するわ。いい考えでしょう?」 確かに悪い考えではなかった。報告書にも困らない。しかし僕は誇りある日本防衛庁直轄諜報部関西支部防衛工作員だ。それに公私混同は許されない。仕事の為に結婚するなんて、政略結婚みたいなものではないか。
「ママ、僕は」 愛は拳銃を床に置き、僕の背中に手を回した。 「男として・・」 唇に愛の唇が重ねられた。僕に色仕掛けは通用しない。しかし・・ 「ベッドに行かない?」 愛の手が僕の手をスリットの中に誘う。 「でも・・」 「いいじゃない、どうせ結婚するんだから。」 意志堅固な僕にも唯一の弱みがあった。チャイナドレスには抵抗できない。お茶のCMで二人のチャイナドレス女性がダンスのステップを踏むシーンではいつも目が点になる。 「そうですね・・」 中国人の姉さん女房もいいじゃないか。僕は前向きな結論を出した。
組織を徹底的に調査するために女工作員と結婚する決意だとメールで知らせると先輩零は感激して昇給を約束してくれた。これは国家機密扱いとなったのでパソコンで見る事が出来る。 秘密諜報部極秘作戦「北京ダック」として幹部会議が決定し零が指揮した中国情報組織潜入計画となっている。まったく手柄は上で、責任は下にのいい見本だ。 当然各国のスパイもこの機密を読み、店に視察に来るようになった。秘密工作員同士の秘密結婚が公然の秘密となっているわけだ。おかげで店は国際色豊かに大繁盛である。まさにスパイ会員制サロンとなり、同業組合を作る話まで出ている。
実際の生活はそれほど変わっていない。 僕は防衛庁直轄防衛工作員として任務でクラブ愛愛のバーテンダーをしている。変わった事と言えば、秘密の奥さんである愛さんがロングドレスになったことだろう。もっともそれは僕が頼みこんだ為で、家で二人の時は必ずチャイナドレスに着替えてもらっている。 ムフッ(^○^)
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