|
○ 未舗装の狭い山道
春の午後、急な山道に軽自動車が止まっている。小雨。ガードレールはなく道路脇の下は崖。後部座席はボストンバックと小物などが乱雑に入ったダンボール。橋本克子(28)が疲れた表情で運転席に体を沈め、フロントガラスからぼんやりと外を眺めていた。手はサイドブレーキを握っている。
○山道の崖(イメージ)
道を越え崖から落ちる克子の軽自動車。岩に激突して燃え上がる。
○山道、車
ウインドウを叩く音。克子が目を開く。厳しい表情の司葉(83)が覗き込んでおり、克子はウインドウを開けた。車のCDプレーヤーからカオルの曲が流れている。
司葉「車両通行止めの標識を見なかったのか?」
司葉はラフな登山スタイル。
克子「気がつきませんでした」
司葉「このままだと下がぬかるんで危ない」
克子「何とかします。構わないでください」
迷惑そうに顔をしかめてみせる克子を司葉は無視する。
司葉「先は狭いが、バックで戻るのも無理だ。わしが運転する。替わりなさい」
諦めたように克子は助手席に移る。司葉が乗り込むと、車が前に動く。司葉は素早くシートベルトを締め、スタートさせた。CDを止める。
タイトル「四葉のクローバー〜若葉〜」
○舗装してある林道
細い道から克子の車が林道に入って止まる。運転席の司葉、汗を拭って助手席の克子を見る。
司葉「オフロード車でもきつい道を、よく登れたものだ。しかし、軽だからこそ角を切り抜けられた。車体の傷は諦めろ」
克子「ご迷惑をおかけしました」
克子が司葉に頭を下げる。
司葉「余計なお節介だったか・・」
克子「えっ?」
司葉「あのまま崖から落ちたかったんじゃないか?」
司葉の聞き方は、詰問ではなく確認する感じ。
克子「どっちでも良かったんです」
克子、投げやりに答える。
司葉「生への執着も死の恐怖もないか。わしの年齢でも、なかなかそうは達観出来ない」
克子「いえ、何となく面倒になって」
司葉「何となく?」
克子「疲れて旅に出たんですけど・・旅にも疲れました」
司葉「それで、生きるのにも疲れたというわけか」
克子「ずっと国道を走っていて・・前や後ろや反対車線の車が煩わしくなって・・だから横道に入ったら身動き出来なくなって・・こういうものだ、どうにもならないものだと思ったら、もう何もかもが虚しくて」
司葉「あんたが死んで、悲しむ人の事は考えなかったのか?」
克子「誰も悲しみません」
克子、突き放すような言い方。
司葉「結婚は?」
克子「私、男嫌いというより人間嫌いなんです」
司葉「愛したり、愛されたりした経験はないのか?」
克子「愛してくれたのは祖父母だけです。5年前に亡くなりました」
司葉「寂しさに耐え切れずという事かな、死んでもいいというのは」
克子「違います、孤独は私が望んだ生き方です。でも、周囲はそれを許してくれない」
司葉「孤独に生きるか・・一番難しい生き方じゃろう。運転を代わってもらえるかな?まっすぐ進めばいい」
克子「わかりました」
司葉と克子、車の外に出て席を入れ替わり、スタートさせる。
司葉「この道は師笠山脈の中腹を横断していて、里山路から羽中市への国道、中国自動車道へのインターに繋がる」
克子「あの・・おじさんは、どちらに?」
どう呼ぶかで迷った様子の克子に、司葉が少し笑う。
司葉「おじさんか、わしを幾つくらいだと思う?」
克子「父より少し上・・60の後半かしら」
司葉「これでも大正生まれだ」
克子「それじゃ・・祖父より上・・とても見えません」
克子の硬い表情が和らいだ。
司葉「いつ死んでもおかしくない年齢だ。若い女性と心中というのも悪くなかったな。山寺巡りをしていたが、この道を進むなら尾仁村へ行きたい。1時間ほどだ」
克子「尾仁村・・恐そうな名前ですね」
司葉「戦乱を嫌った農民の隠れ里で、山奥にあるから猿呼ばわりされて尾のある人、尾仁となった」
克子「1時間なら、そこまでお送りします」
司葉「どれくらい旅してる?」
克子「岩手から裏日本沿いに2週間ほどです」
司葉「女一人じゃ、泊まる所にも苦労されただろう」
克子「車で寝る事が多くて。昨日もそうでした」
司葉「尾仁村の村長は知り合いだ。旅館はないが、公民館に泊まれる。今夜はゆっくり休んだらどうだ?」
克子「あの・・」
司葉「わしは、司葉健太郎、隠居みたいなものだ」
克子「私は橋本と言います、司葉さんはどうされます?」
司葉「まぁ、妻の家が近くにあるから・・今夜は村長と将棋でもして、明日は顔を出そう」
克子「奥様の家って、別居されてるのですか?」
司葉「ま・・いろいろと事情があって・・」
司葉、言葉を濁し、ごまかすように胸ポケットから携帯を出す。
司葉「この辺りは圏外で携帯は通じないが・・別の使い方も出来る」
携帯から流れてきたギター伴奏とカオルの歌に驚く。
司葉「初めて聞くだろう、この歌は」
携帯から流れるカオルの歌
〜会えなくても伝わる想い♪
見えなくても感じている♪〜
曲が終わり、克子が涙ぐんでる。司葉は克子から目を逸らして外を見る。
克子「私、カオルさんの大ファンなんですけど、私の周囲にカオルさんを知ってる人はいませんでした」
司葉「これはカオルが友達の為に歌ったものだ。その友達からもらった」
克子「カオルさんは、アルバムのポートレートだけで本名も住居も秘密ですよね」
司葉「そうだな、あまり話すわけにはいかないが・・可哀想な子だ」
克子「カオルさんが?こんな素敵な歌が作れて、あんなに美人で」
司葉「病気でな・・あと何年生きられるか・・」
克子「そんな・・」
司葉「自分のファンが、自分の曲を聴きながら自殺したと知ったら、カオルはショックを受ける」
克子「すみません」
司葉「カオルは歌でみんなを励ましたいんだ。生きる事が大切だと」
克子「生きるには場所が必要です。私が居られる場所が」
司葉「居場所より、心の置き場所だよ」
克子「心の置き場所・・」
司葉「あんたは孤独を望んだ。だから、体の居場所がなくなると、心の置き場所もないように思ってしまう」
克子、考えこむ。
克子「私・・克子といいます」
司葉「橋本克子さんか」
克子「克子って・・父がカッコーと呼ぶ為につけたんです。ウグイスの巣に自分の卵を置いて育てさせる・・母の不倫の子なんです」
司葉「それを最近、知ったわけか」
克子「いえ、子供の頃から。だから、自分の名前が嫌いで」
司葉「それじゃ、自殺の理由は別なんだな」
克子「理由と言っても、小さな事です。実家から離れた食品会社で事務をしていました。ローンでワンルームマンションを買って、自分なりに充実した生活だったんです。でも、食品偽装問題で新聞に書かれ・・」
司葉「関係してたのか?」
克子「仕入れの経理担当です。伝票合わせが主で、材料の中身などは知りませんでした。課長、役員が決定していましたから」
司葉「それで?」
克子「市や警察の調査が入って、経理のごまかしがあると・・新聞に掲載されました。知らないと言うと、担当者なのに怠慢と罵られました。マンションの周辺では白い目で見られ、家からは一家の恥だと責められるし・・会社はクビに」
話しながら、思い出して克子は涙声になる。
司葉「なるほど、ひどい目にあったようだな」
克子「すみません・・それで居られなくなって旅に出て・・」
司葉「カオルの歌が聴けた。悪い事ばかりじゃない」
克子「そうですね」
克子、司葉を見て微笑んだ。
司葉「名前が嫌いなら変えればいい」
克子「えつ?」
司葉「そうだな、カツミはどうだ?己に克つでも、克つ美しさでもいいし」
克子「克己・・己に克つ・・」
林を抜けて、見晴らしが良くなる。
司葉「県南地区開発計画というのがあって、中止にならなければ、この辺りにはゴルフ場、前方にはテーマパークの観覧車が見える筈だった」
克子「そうですか」
司葉「そういう施設は、ほとんどが赤字に苦しんでおる。夕張みたいに破産する自治体もまだ出て来るじゃろう。建設されていれば、自然を破壊した残骸の風景だったかな」
克子「司葉さん、その計画に関わっていらっしゃったんですか?」
司葉「まぁな、さて里山路だ。左折してくれ」
広い道に合流し、車が左折する。
○ 尾仁村、村長の家
果樹園、田畑、牧場を通り抜けて集落に入り、車は立派な家の玄関先に止まる。司葉と克己が車を降りると、玄関から山田村長(66)の妻(60)が現れ、にこやかに挨拶する。
村長の妻「かのさんの旦さん〜久しぶりやな〜」
司葉「ああ、忙しかったもんでな。今夜は泊めてくれ」
村長の妻「ええよ〜上がりんさい〜こちらは〜?」
克己「橋本・・克己です」
司葉「車に乗せてもらったんだ、今から宿を探すのも大変だから、公民館の部屋を貸してくれ」
村長の妻「幸子が泊まりで〜部屋が空いとるから〜ここに泊まればよか〜コーヒーと饅頭でええな〜」
玄関からあがり客間のソファーに座る。暫くすると村長の妻が盆にコーヒーカップとインスタントコーヒーの瓶、饅頭の箱を持って現れる。
司葉「ケーキはないのか」
村長の妻「ケーキは紅茶じゃなきゃ合わんやろ〜」
司葉「じゃ、紅茶とケーキにしてくれ」
村長の妻「切らしとる〜」
司葉「なら、最初からないと言え。村長は役場か?」
村長の妻「寄り合いじゃ〜いろいろともめとってな〜」
司葉「それで、公民館が駄目ってわけか」
克己「私、司葉さんを送ってきただけですから・・」
村長の妻「気にせんでよか〜夜は鍋にするけん、楽しみに待っててくんしゃい〜」
村長の妻、部屋から出て行き司葉と克子は外を眺めながらコーヒーを飲む。
司葉「尾仁村の古い連中は、ほとんどが山田姓で親戚なんだ」
克己「司葉さんの奥様も元は山田さん?かのさんと言われましたね」
司葉「いや・・老人の過疎村になりかけていたが、土地活用で子供たちも帰ってきたし、他から住み着く連中も増えてきてる。やけに人通りが少ないと思ったら、寄り合いだったんだな」
克己「やっぱり東北とは景色が違います」
司葉「冬に雪はあまり降らないからなぁ」
近くの公民館から騒がしい声が聞こえる。
○村長の家、居間
夜、村長の妻と着替えた克己が鍋の片づけをしている。肘掛椅子で向かい合って酒を飲んでいる司葉と村長。
村長「若い者の言い分も判るけど〜今のままでええと思うんや〜」
司葉「やりたいならやらせればいいんじゃないか?」
村長「そやけど〜牧場はミューを飼うと言うし〜果樹園はワイン作ると言うし〜田畑の連中はミルキーライスとか〜そんなに何でも出来んわ〜」
司葉「挑戦意欲があって結構と思うが」
村長「お互いが張り合っとるんよ〜それに市の連中を見返したいんやろな〜」
司葉「しかし、研究が大変だ」
村長「それが〜若い連中はインターネットで調べて〜資料ば作ってくる〜わしにはわからん言葉ばかりじゃ〜」
司葉「次の選挙じゃ落選だな」
村長「いやじゃ〜かのさんに頼んでくれ〜」
司葉「自分で頼め」
村長「冷たいな〜、そやったら明日、一緒にかのさんとこに寄るわ〜」
村長、酔いでよろけながら立ち上がって部屋の角に置いてある電話からかける。
村長「あ、幸子か〜わしや〜かのさんに頼みがあってな〜今夜、旦さんと若い女の人がうちに泊まるんや〜、そんで明日・・・・」
村長の顔から血の気が引く。司葉も緊張した面持ちに変わる。
村長「はい・・いえ、別に・・伝えます・・」
村長の声が落ち着きなく震えてる。離した受話器からのツーツーという音だけが部屋に響く。
司葉「もしかして・・」
村長「女の人と〜すぐ帰ってきなさいって・・・」
司葉「かなりか?」
村長「凄く・・」
司葉「今夜は聞かなかった事にする・・」
村長「あかん〜あかん〜後で何と言われるか〜」
テーブルにつまみを並べていた克己が困惑した表情で口を挟む。
克己「あの、村長さんが女の人と一緒なんて言われたから、奥さんが誤解されたのでは?」
司葉「そうだ、お前の言い方が悪い。もう一度電話しろ!」
村長「自分で掛ければいいじゃないですか〜」
司葉「いや・・それは・・」
村長「かのさん、待っているそうや〜、早く行ってやってください〜」
司葉「追い出すのか?」
台所から割烹着姿の村長の妻が現れる。
村長の妻「どうかされたんですか〜」
村長「かのさんが、これや〜」
村長、妻に向かって頭に両手の人差し指で角を作る。妻も緊張した面持ちになる。
村長の妻「幸子にか〜」
村長「旦さんにや〜女の人とすぐ来いって〜幸子は恐がっとった〜」
村長の妻「旦さん、克己さん〜何のお構いもしませんで〜」
司葉、苦々しい表情で立ち上がる。
○尾仁村から観音屋敷への細道
月明かりで細道を克己の車が進む。腕組みして何も言わない司葉を運転しながら克己が横目で見る。
克己「恐い奥様なんですか?」
司葉「世界で一番恐い。巻き込んで申し訳ない」
克己「いえ、単純な誤解ですから。司葉さんにはご迷惑ばかりおかけしましたし、慣れてます」
司葉「慣れてる?」
克己「祖母がよく祖父のサークルにいる人に嫉妬して。私が仲裁をやりました」
司葉「それは心強い・・」
克己「かのさんって、どういう字なんですか?」
司葉「いや、本当の名は由里なんだ。観音湖近くに住んでるから代々、尾仁村ではかのさんと呼ばれている」
克己「代々って?」
司葉「伝説めいてくるが、由里の家系は女の子一人しか生まれず、夫はよそ者と決まっているらしい。由里の父親も放浪の画家で、両親を台風の地滑りでなくしてから由里がかのさんになったわけだ」
克己「それで、かのさんの旦那さんと呼ばれていたんですね。それじゃ、娘さんがいらっしゃるのですか?」
司葉「いや・・由里とは再婚で・・あ、そこを左。そのまままっすぐ行けば入り口で、右側に駐車場がある」
克己「ここですか・・」
木造の新しい屋形。克己は大きさ広さに圧倒される。
○観音屋敷
克己が駐車場に車を止める。屋形の入り口から上品な中年男性、藤崎悟(58)がにこやかな顔で近づいてくる。藤崎を見て、司葉は顔を赤くし、車の外に出た。
司葉「ヤブサギ!お前か!」
藤崎「お元気そうで。まだ生きてらっしゃったんですね」
司葉「生きていたら悪いか!」
藤崎「いえ、由里さんの喪服姿を見たかっただけです」
司葉「由里に何を吹き込んだ!何で由里が怒っている!」
藤崎「とぼけて。私は由里さんの相談に乗っただけですよ。まぁ、説得に失敗しましたが、すべては会長の為です」
事情がわからず車を降りた克己に藤崎が視線を向け、克己は頭を下げて挨拶する。
克己「あの、橋本克己です。今日、旅の途中でたまたま司葉さんと知り合いました」
藤崎「初めまして、藤崎です。いい所ですよ。ゆっくりしていってください」
司葉「お前が言うな!由里が怒ってる理由を言え!まさか、昔の事とか・・」
藤崎「それもありますかね。あの聞き出す技術は天性のものです。勉強になりました」
司葉「それもあるって・・・それ以外は何だ?」
藤崎「話は長くなりますから中で。しかし由里さんのヒステリーは」
由里「誰のヒステリー?」
二人の横に和服姿の由里(35)が無表情で立っている。後ろに幸子(19)。司葉は青ざめ、藤崎も慌てて口を閉ざす。克子は由里の美しさに圧倒されていた。
司葉「あ・・あ・・ただいま・・」
由里「身を清めて1時間後に仏間でお待ちしております」
司葉「仏間・・」
由里「さっちゃん、お客様を案内して」
幸子「は〜い」
克己に幸子が近寄り、由里は背中を向けて離れようとする。克己は圧倒されながら焦って口を開く。
克己「あの・・私・・道に迷って・・それで・・」
由里、振り返って怪訝そうに克己を見る。
由里「懐かしい香り・・」
克己「えっ?」
初めて笑顔を見せ、会釈して由里が離れの方に去っていく。
○観音屋敷
玄関から入ると一流ホテル並みのロビー。幸子とボストンバックを持った克己が階段を上がって二階に行く。
幸子「かのさん〜綺麗でしょう〜」
克己「ええ、素敵な方」
幸子「お姫さまなんです〜鬼姫様。怒ると恐いんですよ〜、旦さん、今夜は大変〜」
克己「でも、年が離れた御夫婦ね」
幸子「殿様とお姫さまですから〜、殿様が欲張って〜尾仁村と観音湖を壊そうとして〜お姫さまが怒って〜殿様が心を改めて結婚されたそうです〜」
克己「よくわからないけど・・」
幸子「私も、あんまり〜頭が悪いですから〜」
克己「そんなことないわ」
幸子「そんなことあります〜、だから〜農場も牧場もお友達がいて〜楽しいです〜」
克己「そうなの・・」
幸子が案内したのは広い洋間。
幸子「お風呂は部屋にもありますけど〜露天風呂もいいですよ〜」
克己「匂うかしら?」
克己、恥ずかしそうに服の匂いを嗅ぐ。
幸子「ここは〜土や家畜の匂いが〜あふれてますから〜」
頭を下げて幸子が出て行き、克己疲れた様子でベッドに腰掛けた。
○観音屋敷 藤崎の部屋
和室。悠然と構える藤崎の前で、司葉がイラついている。
司葉「昨日、電話した時は普通だった。何でだ?」
藤崎「大場弁護士の事務所に、深夜3人組の盗賊が入りました」
司葉「話を逸らすな、ドジなオバケなんかどうでもいい」
藤崎「まぁ聞いてください。あのビルには四葉警備が入ってますし、根津君も住んでいます。すぐ御用になったんですが、その前に金庫が荒らされていました。どうやら大場弁護士が鍵を閉めていなかったようですね」
司葉、訝しげに眉を寄せる。
司葉「何か見つからない物があるのか?」
藤崎「いや、書類がバラバラになって、大場弁護士の記憶にない書面が出てきたわけです」
司葉「まさか・・」
思い当たる様子の司葉。
藤崎「会長から由里さん宛でしたので、大場弁護士が由里さんに郵送しました。由里さんは会長と連絡がとれなくて私に電話を」
司葉「その書面とは・・」
藤崎「自分のことは忘れて、好きな男と幸せになって欲しいとか。つまり離縁状ですよね。希望に沿うよう会長の弁護を必死で行いました」
司葉「弁護って何を・・」
藤崎「そこは、会長を私ほど知る者はおりません。過去の女性関係を心理学的に分析し、10年恋愛周期説を体系づけ」
司葉「10年恋愛周期説?」
藤崎「和美、前の前の洋子奥様、孝子、前の美由紀奥様、晶絵、美津子、そして由里さんと・・3ヶ月未満の浮気は除いています。一応、それ以外に思い出した分も説明に加えました」
司葉「つまり・・由里とは結婚して12年近くだから・・飽きたと・・」
藤崎「はい、諦めて身を引いてくれと頼みました」
司葉、憤怒の表情で立ち上がる。
司葉「あれは遺言状だ!半月前、ネズミに保管するように命じたものだ!わしが生きているのに開く奴がいるか!」
藤崎「なんだ、私はてっきり遺書だと思ってました。まぁ、似たようなものですね」
司葉「全く違う!」
藤崎「会長の女癖の悪さを知った後なら、ご逝去を聞いてもショックが少なかろうと、私の深謀なる思いやりでしたが」
司葉「それだけか?」
藤崎「何を疑ってるんですか」
司葉「好きな男とは自分の事を指してるとか言って、由里を口説いただろう。お前は由里に横恋慕しとるからな」
藤崎「いやぁ、そこまでは時間がなくて」
司葉「いい年をしてみっともない」
藤崎「会長にだけは言われたくないなぁ」
司葉、疲れたように座り直す。
司葉「それにしても、まずい事態だ。夫婦の誓いをわしが破った事になる・・由里にどう説明するか・・頭が痛い」
藤崎「会長には奥の手、必殺技があるじゃないですか」
司葉「何だ?それは」
藤崎「ひたすら土下座。それで由里さんを落としたんでしょう?」
司葉「二番煎じは・・じゃなくて・・ああ、胸も痛い」
藤崎「薬ならあります」
藤崎、ケースに入ったカプセル入りの薬をバッグから出す。
司葉「精神安定剤か?」
藤崎「いえ、安楽死の薬です。時間の誤差はありますが、私の遺書説で後始末が出来ます」
司葉、怒ってテーブルを叩く。
司葉「また日本に住めないようにしてやる!明日の朝、荷物をまとめて出て行け!」
藤崎「はいはい、渡航費用はお願いします。それで、そろそろ時間じゃないですか?由里さんが白装束で小柄片手に待ってますよ」
司葉「お前という奴は!・・怒鳴り過ぎて喉も痛い・・」
藤崎「薬ならありますが」
司葉「どうしても、殺したいのか!」
藤崎「特製バイアグラ」
司葉「何?」
藤崎がバッグから錠剤を取り出し、司葉に渡す。
藤崎「効果絶大、副作用なし。有効時間は3時間程度」
司葉「本当に効くのか?」
司葉、疑わし気に藤崎を見る。
藤崎「私が会長に嘘を言った事がありますか?」
司葉「7対3で嘘が多い」
藤崎「まぁ、これは私自身で使うつもりでしたから」
司葉「誰にだ?わしが死んだ後に、由里とか?」
藤崎「えっ?考えすぎですよ・・ハハハ」
司馬、藤崎を睨みつけるが、時計を見て立ち上がる。
司葉「時間がない、預かっておく」
司葉、部屋を出て行く。
○ 観音屋敷のロビー
ロビーでコーヒーを飲んでいる藤崎。風呂上りで着替えた克己が階段を下りてきて、藤崎に会釈する。
藤崎「確か、橋本さんだね。どうかした?」
克己「飲み物の自動販売機を探してました」
藤崎「自動販売機はない。待ってなさい」
藤崎が食堂に入り、コップと冷蔵庫からジュースの瓶を持ってくる。藤崎の前に座った克己、礼を言ってジュースを飲む。
克己「美味しい」
藤崎「添加物ゼロの果樹園ジュースだ。尾仁村は米自然栽培、無農薬で肉、鶏もブロイラーじゃなく牧場で育てている」
克己「素敵な所ですね。高級ホテルみたい」
藤崎「登録は法人の保養施設なんだが、会長と由里さんが管理してるから利用する社員はいないな」
克己「会長って、司葉さんは何の会長なんですか?」
藤崎「明正グループ。戦前は司葉財閥と呼ばれていた。橋本さんは歴史上の人物で誰が好きかな?」
克己「そうですね、織田信長に魅力を感じます」
藤崎「その信長を本能寺で殺したのが明智光秀。司葉家の先祖は光秀の血縁で明智正秀になる。しかし、正秀は山崎の合戦で光秀の招集を拒否して丹波の山中に籠った。権力争いを嫌い、秀吉や徳川家からの藩格上げも辞退して明治維新にも関わっていない。大戦ですら、戦争協力を歪曲に拒否した。名より実の精神が家訓で、明正は明智正秀の名からつけられている」
克己「初めて聞きました」
藤崎「会長は、医者に肺結核の診断書を書かせて徴兵逃れ。もっとも、その片棒を担いだ非国民の医者が私の父だがね」
克己「古いお付き合いなんですね」
藤崎「古いも何も、会長の妹と父が結婚して私が生まれた。つまり、私は会長の甥なんだが・・事情があって叔父甥の縁を切られいる」
克己「藤崎さんも明正グループの会社を経営されてるのですか?」
藤崎「いや、私は精神科医で心理学の教授だよ。あとはボランティアの劇団主宰などだな」
克己「平凡な事務員だった私には雲の上の世界です」
藤崎「だった?会社をやめたの?」
克己「はい、それで気分転換の旅行です。司葉さん・・会長さんはヤブサギさんと呼ばれてましたね」」
藤崎「人に仇名をつけるんだよ。私が藪医者で詐欺師だからとか。県南開発計画は知ってる?」
克己「ゴルフ場とかテーマパーク建設の計画ですね」
藤崎「そう。70を過ぎて名誉欲が出たんだね。功績を後世に残そうと県が提案した県南開発計画に乗ってしまった。会長は独裁者だったから、グループ内では誰も反対出来ない。私と教え子の学生が地域住民と反対運動を起こした」
克己「それで中止になったんですか?」
藤崎「いや、お忍びで視察に来て由里さんに一目惚れ。環境保護派に変身して計画を中止。半年後に責任をとって実権のない名誉会長になったが、実は由里さんとの結婚生活で仕事に興味を失ったからだ。不況の長引きで、今では計画を中止した英断が高く評価されている」
克子「会長さんって、幾つなんですか?」
藤崎「83歳だよ。ついでに言えば由里さんは38歳。ひどいと思わないか?45歳違いだよ」
克己「あまり・・聞かない組み合わせですね・・」
藤崎「だろう?犯罪だよ。私なら30歳違いだから釣り合うが」
丹前姿の司葉が廊下から現れ、克己の隣に座って藤崎を睨む。
司葉「何を話してる?」
藤崎「あ、会長。ご機嫌麗しいようで」
司葉「うるさい。克己さん、こいつの言う事は信用しない方がいい。今まで、どれだけ泣かされたことか」
藤崎「人聞きが悪い。私が何をしたと言うのです?」
司葉「劇団が大赤字になり、暴力団といざこざを起こしてアメリカに逃げ出したのは誰だ?」
藤崎「逃げたとは不本意な。たまたまの留学です。その証拠に博士号をとって帰ってきたじゃないですか」
司葉「劇団とヤクザの後始末をしたのはわしだ。聞いたことのない大学の博士号なんて信用出来るか。克己さん、何でこいつが心理学とか精神医学をやってるかわかるか?血を見るのが恐い、レントゲンは苦手、薬オタクだから医者の資格が欲しかっただけだ」
藤崎「由里さんの薬草はたいしたものです。とても敵いません」
司葉「もう、お前とは縁を切った!明日の朝、黙って帰れ!」
二人の様子に克己が戸惑いながら立ち上がった。
克子「私、部屋に戻りますので」
藤崎「明日、周辺を散策しなさい。気が落ち着くよ」
司葉「世話になったな。ゆっくり休むといい」
克己「はい、いろいろと有難う御座いました。おやすみなさい」
克己、ジュースの瓶とコップを持ち、二人に頭を下げてロビーを出る。藤崎と司葉が向かい合う。
藤崎「私に用事があったんじゃないですか?」
司葉「あっ・・さっきの薬だが・・まだあるか?」
藤崎「10錠ほど」
司葉「引き取ろう・・」
藤崎「では、1錠100万で」
司葉「高すぎる。10万出そう」
藤崎「50万」
司葉「15万」
藤崎「でも私は出入り禁止でしたね」
司葉「今回は許す。慰謝料を差し引いて20万」
藤崎「仕方ない、手を打ちますか」
藤崎、ポケットからケース入りカプセルを司葉に渡す。
司葉「お前は・・これは安楽死の薬じゃないか。そもそも何でこんな物を」
藤崎「わかりませんか?私が由里さんに呼ばれた理由が」
藤崎が憐れむような目つきで司葉を見る。
司葉「まさか・・」
藤崎「もし、会長じゃなく由里さんがここに泣き顔で現れていたら」
司葉「わかった、わしが処分する。慰謝料は取り消しで30万払おう。在庫はどれくらいある?」
藤崎「100錠作りましたから、残りは90錠ですね。家に置いています。原料が季節に左右されるし貴重なんですよ」
藤崎、司葉に袋に入れた錠剤を渡す。司葉、一つをじっくり眺めて袋に戻す。
司葉「由里の薬草を使ったな」
藤崎「えっと・・それはともかく・・小切手で3千万よろしく」
司葉「連休に高田一家とネズミ達を呼ぶことにした。お前も在庫を持ってきて合流しろ」
司葉、薬の袋を服に入れる。
藤崎「香織さんが亡くなって1年半ですね」
司葉「詩織ちゃんの様子はどうだ?」
藤崎「目の前で自分を庇って母親が車に轢かれたのですから・・何とか喋れるようにはなりましたが・・」
司葉「スピード違反の飲酒運転。何で執行猶予がつくんだ」
藤崎「高志君が減刑を申請したからですよ。彼の気持ちもわかります」
司葉「刑務所は贖罪にならないか」
浴衣姿の由里が現れ、司馬の肩に手を置く。
由里「お話は終わりました?」
司葉、由里の手に自分の手を重ねる。
司葉「ああ、そろそろ戻ろうと思ったところだ」
藤崎「仲直りが出来たようですね」
由里「あら、最初から喧嘩なんかしていません」
由里の顔が赤く染まる。照れたように司葉は由里の手をとったまま立ち上がる。
司葉「疲れた、寝るぞ」
由里「はい。悟さん、おやすみなさい」
二人、手を握り廊下に出て行く。残された藤崎、注ぎ足したコーヒーを一気飲みする。
藤崎「ちきしょう〜100万で突っ張ればよかった」
○観音屋敷・克己の部屋
朝、荷物を整理している克己。開いた窓から景色。ドアをノックする音。
克己「どなた?」
ドアを開けると、幸子が笑顔で立っていた。
幸子「朝食の準備が出来ました〜」
克己「はい、行きます」
幸子と一緒に克己、廊下に出て1階に降りる。
幸子「よく眠れましたか〜」
克己「ええ、生き返ったみたい」
幸子「よかった〜食事が終わったら〜かのさんが〜観音湖を〜案内するそうです〜」
克己、困惑した表情。
克己「それは・・ご迷惑だし・・」
幸子「こちらにどうぞ〜」
食堂、10人ほどが他のテーブルで賑やかに食べている。幸子が案内したテーブルに一人分の和食が置いてあった。箸をつけて食べると、他のテーブルが静かになる。そちらを見る和巳。
若者A「うちが作った米や。うまいやろ」
若者B「卵は牧場の産みたてやで〜」
若者C「ミソは」
幸子「あんたら〜うるさい〜旦さんのお客さんなんよ〜」
克己、若者達ににっこり笑う。
克己「どれも、とっても美味しいわ」
幸子「料理したのは〜私です〜」
幸子、胸を張る。
○観音屋敷のロビー
藤崎が新聞を読みながら一人コーヒーを飲んでいる。食堂から克己が入ってくる。
克己「おはようございます」
藤崎「おはよう。朝食はどうだった?」
手で前の席を勧める藤崎。克己が座る。
克己「こんな美味しい朝食は初めてでした」
藤崎「それはよかった。夕食も牧場の肉が出ますから期待していいよ」
克己「いえ、司葉さんと奥様に挨拶して午後は旅に戻ります。午前中はお言葉に甘えて湖を散策したいと思いますが」
藤崎「それは残念。私は暫く居るから、話し相手がいて助かったのに。そうだ、暇な時に読むといい。あげるよ」
藤崎、読んでいた本を克己に渡す。克己が表紙を見ると、「真実は一つ、負けない女」作者、大場恵子弁護士。
藤崎「元大学の教え子でね、グループの顧問弁護士の一人だ。無料贈呈
の本だから気にしないでいい」
司葉「まだいたのか」
自分に言われたのかと思って、驚いた顔で克己は入ってきた司葉を見るが、司葉は藤崎を見ている。
藤崎「今回はお許しが出たはずですが」
司葉、克己の横に座る。
司葉「ほら、小切手だ。さっさと帰って・・早目に約束の物を持って来い」
藤崎、小切手を受け取るが、不貞腐れている。司葉はにこやかに克己を見る。
司葉「おはよう、気分はどうかな」
克己「おはようございます。おかげさまで」
司葉「そうか、わしも寛いで寝坊してしまった」
藤崎「エロジジイ」
司葉「何か言ったか?」
藤崎「いえ、NG、橋本さんは午後に旅立つと言ってますよ」
司葉「何か気に触る事でもあったかな?」
克己「とんでもない。でも、こんなにお世話になる理由がありませんから」
司葉「由里が一緒に散策するのを楽しみにしている。あいつは、湖の自慢をしたいんだ。付き合ってやってくれないか」
藤崎「私も一緒に」
司葉「ヤ〜ブ〜サ〜ギ〜」
藤崎「はいはい、邪魔だから早く帰れですね。由里さんも寝坊ですか?」
司葉、咳をする。
司葉「いや・・・着替え中だ。克己さんも、山道があるから歩きやすい服装がいい」
克己「わかりました、着替えてきます」
克己、立ち上がる。
○観音湖湖畔
克己と由里が並んで歩いている。
克己「とても素敵な所ですね。空気もおいしい」
由里「生まれてから、観音湖に住んで尾仁村しか知らないの。母も、祖母も。テレビで見ると、日本には綺麗な所がたくさんあるけど・・私にとってはここがすべて」
克己「街を見たいとは思わないのですか?」
由里「全然。健さんが衛星放送を入れてくれて、世界を知る事が出来るようになったわ。でも外の世界は恐いし・・私はここに縛られてるの。いえ、違う・・この土地に守られてる」
克己「あの・・どうして司葉さんと結婚されたのですか?」
由里「好きになったからじゃおかしい?」
克己「いえ・・」
由里「開発計画は村の人から聞いていた。計画が進めば観音湖の自然は死に、観音湖が死ねば私も生きていられない。薬草摘みをしていた時、健さんに会いました。計画の張本人とは知らず、好意を持ってしまって・・湖の事、私の事を話したわ。健さんは、命に代えて私を守ると言ってくれた」
克己「すみません、立ち入った事を聞いてしまって」
由里「克己さんは、私が嫌い?」
克己「とんでもない。憧れます」
由里「友達になってくれる?」
克己「勿論です」
由里「それじゃ、すぐに出て行くなんて言わないでね」
克己「あ・・でも・・」
由里「そうね、連休はお客様が多くて忙しくなるわ。友達として手伝っていただけない?」
克己「私でよければ、喜んで」
由里「じゃ、友達の証として・・私の秘密を教えるわね」
由里、克己の手をとって、自分の頭を触らせる。
克己「これは?」
由里「角よ。私は鬼なの」
克己「でも・・そんな・・」
由里「嫌いになった?」
克己「いえ・・もっと好きになりました」
由里「ありがとう・・あら?さっちゃんだわ」
幸子、泣き顔で由里の方に駆け寄る。
幸子「かのさん〜、大変です〜、祐さん達が押しかけてきて〜」
由里「牧場の子ね」
幸子「村長じゃ話にならないからって〜ミュウががどうとか〜」
由里「ミュウ?」
克己「あ、昨日の寄り合いでの話しですね。村長さんから聞きました」
由里「克己さん、知ってることを教えて。さっちゃん、今はどうなってるの?」
幸子「広間で〜旦さんが怒鳴ってます〜私〜役立たずで〜」
由里「大丈夫。心配しないで」
幸子「お父さん、村長をやめさせられる〜」
三人、観音屋敷への道を急ぎ足で戻る。
○観音屋敷、広間
20人くらい集まった若者を前に、司葉が怒っている。
司葉「勝手な事ばかり言うな!採算のとれん事業に投資はせん。お前達の計画は穴だらけだ」
祐太「やってみないとわからんが〜」
若者B「資本家横暴、ストライキやるぞ〜」
若者C「あんたが協力せんなら、村の金があるさ〜」
由里を先頭に、克己と幸子が食堂に入る。由里、克己に耳打ち。克己、幸子を促して外に出る。
祐太「あ、かのさん。話を聞いてください〜」
由里「大体の事は判りました。祐太君、貴方はミューの肉を毎日食べたい?」
祐太「それは・・」
由里「祐太君が育ててる鶏の卵は毎日食べたいわ。それから和男君、村でワインを飲む人って誰かしら?」
和男「いえ・・でも街で売れると思って〜」
由里「翔平君、貴方の作る米は日本一って自慢してなかった?」
和男「もちろん、日本一です〜」
由里「古いかもしれないけど、尾仁村は昔から自給自足を通してきたわ。でも、服は作れないし他の物は作れない。だから、村で余剰な分を売って買ってきた。村の人が喜ばない物を作るのは本末転倒よ」
祐太「でも・・村の財政は余裕があると聞きました・・」
由里「村長は不作や病気の時に備えてるの。異常気象や鳥インフルエンザで困る事もあるでしょう?」
翔平「わかりました。ミルキーはやめます〜」
由里「食堂でさっちゃんが軽い物を用意してるわ。折角来たんだから食べて行って」
祐太「はい、どうもお騒がせしました〜」
ぞろぞろとみんな、広間を出て行く。由里、司葉の所へ歩み寄る。司葉は照れた表情。
司葉「昔はわしの一言で決着したのにな」
由里「ごめんなさい。出しゃばって」
二人、見つめ合って笑う。
○食堂
テーブルの後片付けをしている克己。幸子は厨房で泣いている。由里、食堂に入ってきて幸子に気づき、克己を呼ぶ。
由里「どうしたの?さっちゃん」
克己「わかりません。みんなが帰ってから、ずっとあの調子なんです」
由里「感じやすい子だから・・みんなに責められてるようでショックだったのね」
由里に気づいた幸子、涙を拭いて二人の方に来る。
幸子「かのさん、ごめんなさい〜克己さん、ごめんなさい〜」
由里「さっちゃんが気にする事ないの。連休まで家に帰って休んで」
幸子「でも〜でも〜」
幸子、べそをかく。
由里「大丈夫、克己さんが手伝ってくれるから。さっきの件でお父さんが来るわ。話が終わったら一緒に帰って。ここはいいから、準備しなさい」
幸子「はい・・わかりました〜」
幸子、うつむいて出て行く。
○尾仁村の道
自転車の克己。車が彼女の前で止まる。窓から顔を出したのは藤崎。
藤崎「やぁ、元気そうだね」
克己「この前はお世話になりました。藤崎さんは観音屋敷に?」
藤崎「うん、どうもあそこが自分の家に思える。町に帰っても落ち着かない」
克己「由里さんの顔が見たいんでしょう」
藤崎「ハハハ、図星。どうせ二人でいちゃついてるだろう」
克己「そうですよ。いやじゃないですか?」
藤崎「いやいや、それをからかうのも楽しみさ。どちらにに?」
克己「郵便局です。司葉さんに頼まれて」
藤崎「さっちゃんは?」
克己「休暇でお姉さんの家ですけど、明日は屋敷に戻ってきます」
藤崎「よっちゃんのとこだな。村長の娘は三人で、上の二人も前は屋敷に勤めていた。結婚して順繰りにやめ今はさっちゃんなんだ。村長はさっちゃんに婿をと願ってる」
克己「さっちゃん、好きな人がいるのかしら」
対向車が来る。狭い道なので、藤崎が車を脇に寄せる。
藤崎「どうだろうね。おそらく縁談の話が嫌で、よっちゃんのとこに逃げたんじゃないかな。じゃ、後でまた」
克己「はい」
藤崎の車を見送り、克己は自転車に乗る。
○観音屋敷、ロビー
夜、寛いだ雰囲気。4人がコーヒー、お茶を飲みながらケーキを食べている。
藤崎「大場弁護士は仕事が忙しいということで・・」
司葉「資格停止をくらってるオバケが忙しいわけないだろう」
克己「資格停止?」
藤崎「本を読んだなら、どういう女性か見当つくと思うが・・法廷で痴漢を否定していた依頼人を嘘つき呼ばわりしてね〜」
司葉「正義感はいいが、立場もあるだろう」
藤崎「まぁ今は・・サイトの事案もありますから」
司葉「四葉のクローバーか。克己さん、パソコンが出来るかな?」
克己「はい、仕事で使ってました」
藤崎「仲間と共同でやってる相談サイトなんだ。法律が絡む場合は大場弁護士、精神医学の内容は博士の私、病気で苦しんでいる人は歌手のカオル君、身体的コンプレックスは九州に住んでいるマコト君」
克己「カオルさんが仲間なんですか?」
司葉「言ってなかったな、カオルの音楽事務所は明正グループだ」
克己「じゃ、カオルさんが歌を贈った友達って、藤崎さんだったですか」
司葉「まさか。マコト君だよ、相手は」
藤崎「まさかはないでしょう。まぁ、頼れる年長者役になってますがね」
由里「私もパソコンを始めようかしら。カオルちゃんやマコトさんとチャットしたいわ」
藤崎「私が手取り足取り教えます。何と言っても元教授」
司葉「まずわしに教えろ。それからわしが由里に教える」
藤崎「女子大教授ですから・・」
司葉「セクハラで訴えられたよな」
藤崎「あれは、純粋に、スキンシップによる異性間の感情変移を実験したわけで・・」
由里「あら?」
気配に気づいて、由里が立ち上がり玄関の方に行く。荷物を持った幸子がしょんぼりと立っている。
由里「さっちゃん、明日からよ。仕事は」
幸子「すみません〜でも〜でも〜」
泣き出した幸子の肩を克己が抱いて支える。
克己「部屋に連れていきます」
由里「ええ、お願いね」
廊下を曲がる二人を、三人が見送る。
藤崎「縁談で村長と喧嘩して飛び出して来たんでしょうね」
司葉「まだ結婚は早いと思うが、口出しはどうかと思うしな」
由里「ここは、克己さんに任せましょう」
三人、ロビーに戻る。
○幸子の部屋
克己、泣いている幸子を座らせる。
幸子「すみません〜すみません〜」
克己「縁談は嫌な相手だったの?」
幸子「祐さんです〜」
克己「あら・・祐太さんじゃ駄目?他に好きな人がいるの?」
幸子「大好きです〜祐太さんが相手と判って嬉しかったです〜」
克己「それじゃ・・どうして泣いているの?」
幸子、克己の前に手をついて頭を下げる。
幸子「お願いです〜、屋敷から追い出さないでください〜」
克己「誰も、幸子さんを追い出したりしないわ」
幸子「私〜頭が悪くて〜役に立たないから〜やめさせて〜克己さんが〜代わりに〜」
克己「誰がそんな事を・・」
幸子「お父さんも〜お母さんも〜ちい姉さんも〜そう言うんです〜だから〜お父さんが〜村長してる間に〜婿をもらえって〜」
克己「誤解よ。私はたまたま司葉さんと知り合って、お世話になっているだけ」
幸子「何でもします〜お手当てはいりません〜克己さんの下働きでいいです〜ここに置いてください〜かのさんの世話をさせてください〜」
幸子、泣きながら克己の膝にすがりつく。
克己「でも、祐太さんとの縁談はどうするの?」
幸子「祐さんは好きですが〜観音屋敷はもっと好きです〜」
克己「私がここにいるのは連休が終わるまで。由里さんとはそういう約束なの」
幸子「本当ですか〜私〜ここにいられるのですか〜」
克己「幸子さん、祐太さんと結婚しても家から通えばいいんじゃない?」
幸子、驚いて目を丸くし、克己を見つめる。
幸子「おお姉さんも〜ちい姉さんも〜結婚したら〜仕事をやめました〜私も〜やめないと〜」
克己「そんな事ないわ。私から由里さんに頼んでみます」
幸子「でも〜かのさん〜怒りませんか〜」
克己「怒るわけないわ。由里さんも幸子さんが大好きなんだから」
幸子「もし〜そうなったら〜とても幸せです〜」
克己、抱きついてきた幸子の背中を優しく撫でる。
○観音屋敷
玄関周辺を清掃している克己、駐車場の木陰にいる私服の祐太を見つけて近づく。祐太、逃げようとするが、諦めて克己に向かう。
祐太「どうも」
克己「おはよう。幸子さんを待ってるの?」
祐太「いえ、さっちゃんは関係ないです」
祐太の強い口調に克己は笑顔を消す。
克己「そう」
祐太「あっ、克己さんには迷惑かけました。かのさんにお願いしてくれて、ありがとうございました」
祐太、直立不動になって克己に頭を下げる。
克己「気にしないで。幸子さんには私こそお世話になってる」
祐太「目障りでしょうけど、訳ありなもんで見逃してやってください」
祐太、深く頭を下げてから硬い表情で背を向ける。訝しげな表情で克己は玄関の清掃に戻る。
○食堂
テーブルを拭いている幸子。克己が入ってくる。
克己「外は終わったけど・・祐太さんがいるわよ」
幸子、驚いた様子で克己を見る。
幸子「祐さん〜何か言いました〜」
克己「いえ、挨拶だけ。でも話し方が祐太さんらしくなかった。何か問題があるの?」
幸子「わかりません〜祐さん〜結婚の話は〜待ってくれって〜」
幸子、悲しそうに俯く。
幸子「私のことは〜好きだと〜ここで働くのも〜かまわないと〜でも〜」
克己「でも?」
幸子「けじめ〜つけるって〜」
克己「けじめ?何の?」
幸子「わかりません〜でも〜祐さん〜恐い顔で〜私も〜恐いです〜」
厨房の通用口に野菜を持った若者が見えて、克己、そちらに移動する。
○1階の廊下
奥から出てきた克己、食堂を覗くが幸子はいない。ロビーに進むと慎一(14)が大場恵子弁護士の「真実は一つ、負けない女」を読んでいる。慎一は小柄で小学生にしか見えない。
慎一「おばさん、ここの人?」
克己「いえ、ただのお手伝い」
慎一「そうかぁ、これ僕のママが書いた本」
克己「えっ?大場弁護士の?」
慎一「「そう、熊みたいな大男に乱暴されて僕が生まれ、ママはギャンブルと酒ばかりの甲斐性なしに騙されて結婚、その義理のパパから虐待された子供」
克己「でも、ママが離婚したから、今は大丈夫でしょう?」
慎一「それが、離婚したパパがストーカーになって。。。苦しい・・」
後ろから根津(37)が慎一の首を絞めていた。小柄で、一目で血の繋がった親子と判る。
根津「こんにちは、橋本克己さんですね。この悪ガキの父親の根津幹夫です。会長にはネズミと呼ばれています」
克己「あの、でも・・この子のお父さんは・・」
慎一「親父、この人は・・」
根津「会長の知り合いで奥様のお友達だ」
慎一「そうならそうと・・お袋の宣伝しとこうと思っただけだって・・」
根津、慎一の首に回した手を離し、横に座る。克己、頭を下げる。
克己「すみません、奥の掃除をしてて、いついらっしゃったのか気づきませんでした」
慎一「気にしない、気にしない。気づかれないように忍び込んだんだから」
根津「お前は一言多いんだよ!」
根津、慎一の頭を殴る。慎一、痛そうに殴られた頭を撫でる。
慎一「機嫌悪いなぁ、会長に怒られたんか?」
根津「俺はなぁ、ちゃんと会長の指示通りにしたんだ。盗人も捕まえた。今回の事は全部あいつのミスじゃないか。なんで俺が文句言われなきゃならないんだ」
慎一「まぁ、お袋の失敗は親父が始末、夫婦の役割分担やね」
根津「夫婦って、顧客が相談しやすいようにって離婚させられたんだぞ」
外から騒ぎが聞こえ、克己は二人に頭を下げて玄関の方へ行く。
○ 駐車場
駐車した車に祐太が血相を変えて駆け寄る。車から長身で黒スーツの高田高志(40)が降りる。車の中には、浩志(10)と詩織(8)がいる。玄関にいた幸子が動こうとするのを克己が止める。
高志「祐太か」
祐太「俺は・・俺は・・」
高志「これから会長に挨拶だ。これ以上みっともない面を晒したくねぇ、殴るのは腹にしてくれ」
祐太「すまねぇ〜兄貴〜」
祐太、高志の足元に土下座する。
高志「何の真似だ?」
祐太「俺は、ずっと兄貴を恨んでた〜自分が助かる為に、俺を見捨てたんだと思ってた〜街で社長してるって聞いて、必ず見返してやると〜」
高志「いいじゃないか、それで」
祐太「村長さんから婿になれって言われて〜俺、全部話した〜さっちゃんは大好きだけど〜そんな資格ない〜捨て子で〜少年院いて〜チンピラやってたって〜そしたら〜村長さん〜最初から知ってたって〜」
高志「昔は関係ない、今のお前を認めていただいたんだ」
祐太「俺が刺した相手が〜刑事だって知らなかった〜それで〜兄貴が村長さんに匿ってもらったんだって〜俺〜牛の糞の片付けばかりやらせる〜村長さんも〜あの頃は〜憎んでいた〜」
高志「あの事件は刑事の方に非はあるが、法は奴らの味方だ。それでも時効は過ぎた。お前は安全だ」
祐太「何も知らないで〜兄貴を恨んで〜あんなに世話になった姐さんの葬儀も出なくて〜兄貴〜俺を殴ってくれ〜俺を蹴り倒してくれ〜」
高志「あの村長さんの婿ってのはな、俺よりずっとずっと上なんだ。そんな偉いお前に手を上げられるか。香織も、立派になったお前を喜んでるさ」
祐太「俺は〜一所懸命働いて〜村に恩返しする〜兄貴への恩返しは〜どうすればいいのか〜教えてください〜」
高志「幸せな家庭を作ってくれ。それが俺には一番嬉しい」
高志、車から浩志と詩織を下ろし、玄関の方に歩む。幸子が高志に歩み寄ると、高志、頭を下げる。
高志「あの馬鹿を、よろしくお願いします」
幸子「馬鹿は〜私です〜祐さんは〜とても〜賢いです〜」
高志「失礼しました」
幸子「婚礼には〜必ず〜来てください〜」
高志「もったいない。私なんかが、そんな晴れがましい席に出たら罰が当たります」
高志が通り過ぎ、幸子は涙を浮かべながら泣いてる祐太の方へ駆け寄る。高志は克己の前で止まった。
高志「すみません。こいつらを部屋に。私は先に会長へご挨拶してきます」
浩志と詩織の方を目で指した。
和巳「はい、わかりました」
詩織「ママの匂い」
和巳「えっ?」
詩織、和巳の服にしがみつく。高志は怪訝な顔をするが、すぐに冷めた笑顔に戻る。
高志「車の中で寝てましたから。まだ寝ぼけてるようです。ではお願いします」
もう一度、克己に頭を下げて、高志は玄関から中に入る。
○ロビー
ソファーには根津、慎一、藤崎が座っている。玄関から彼らの前に来て挨拶する高志。
高志「先生、根津さん、お久し振りです」
藤崎「会長、機嫌悪いよ。気をつけて」
根津「さっき、ネチネチとやられた」
高志「叱っていただけるのは嬉しい事です」
高志、階段を上がっていく。
慎一「親父、負けてるね」
根津「うるさい」
根津、慎一の頭を叩こうとするが、慎一は逃げる。
○広間
座椅子に一人、司葉が苦虫を潰したような顔で座っている。入ってきた高志が、司葉の前に座り頭を下げる。
高志「お招きをいただき、ありがとうございます」
司葉「その黒服は何だ?まだヤクザのつもりか?」
高志「気に障りましたら申し訳ありません。一張羅なもんで」
司葉「香織さんの一周忌もすんだ。周囲の気持ちも考えて黒ははやめろ」
高志「すみません、我侭をお許しください」
司葉「それで、九州配送の時には作業服で名前も吉川に変えるのか?」
高志「ご存知でしたか・・」
司葉「所払いに時効はない。奴らに見つかったら俺や轟でも守れないんだ!」
高志「申し訳ありません。新型車椅子がマコトさんに合うか知りたかったんです」
司葉「命を掛けてか?マコトの家族の死もマコトの火傷もお前のせいじゃない。何度言ったら判る」
高志「その話はもう・・」
司葉「お前が九州で殺されれば、俺と轟の顔が潰れるだけじゃない。子供達はどうなる?」
高志「考えなしでした。二度といたしません」
高志、両手をついて頭を畳にこすりつける。
司葉「お前の頑固さには負ける」
高志「申し訳ありません」
司葉「お前が死んだら、香織さんの実家も折れて子供達を受け入れると読んだか」
高志「いえ、そんな」
由里が入ってきて、司葉の隣に座る。
由里「高志さん、もし貴方に万一の事があったら、浩志君と詩織ちゃんは私が引き取りますよ」
高志「姐さん、どうかそれだけは・・」
司葉「わしらじゃ不足か?」
高志「勘弁してください。これ以上ご迷惑をかけたら、あの世で香織に叱られます」
顔を上げない高志、由里と司葉は顔を合わせてため息をつく。
○廊下
広間から出てくる高志、根津が外で待っている。二人、並んで歩きながら会話。
根津「会長にコクったのは俺だ。恨んでいいぜ」
高志「とんでもない。守ってくれてたのか」
根津「それが本職だしな。あまり世話をかけるなよ」
高志「すまない」
階段の下では克己に、詩織がスカートを掴んでまとわりついている。
○ 観音屋敷、和室
夜、卓を囲んで浴衣姿の司葉、藤崎、根津、高田が酒宴。
司葉「幸子の相手が高志の舎弟とは知らなかった。村長も水臭い。ネズミは知っていたのか?」
根津「警察絡みでしたからね。次兄に渡りをつけました」
高志「お兄さんにはお世話になりました」
根津「いや、相手は路上で猥褻行為をやったんだ。祐太が注意して逆切れ、後で叩いたら、たっぷり埃が出た。兄も同じ刑事として許せないと言ってた」
司葉「幸子も嫁に行く・・じゃなく婿を貰うんだな。ヤブサギ、もう風呂場を覗くなよ」
藤崎、むせる。
藤崎「やってませんって〜、どうも私は誤解されてるな〜」
根津「誤解ですかね〜、素行調査しましょうか?」
根津が藤崎を睨む。
藤崎「ここじゃ、やってない。由里さん一筋」
司葉「由里を覗いたのか!」
藤崎「そんなわけないでしょう。離れには一度も足を踏み入れてません、と言うか入れてくれない」
根津「慎一への隔世遺伝が心配だ」
藤崎「だから、違うって。私が恵子の父親である可能性なんて、一割もない。逃亡じゃなく・・留学の前日、お情けの一夜だけなんだから。当時、彼女の相手は知ってるだけでも5人いた」
根津「しかし、母親は恵子に父親の事を聞かれて、空の向こうだって答えてるんですよ」
藤崎「意味が違うと思う、おそらく・・」
根津、藤崎から視線を外す。
根津「まぁ、可能性があるから教授は恵子を口説けず安心なんですけどね」
藤崎「可能性なくても遠慮するよ」
根津「会長の身内でなきゃ、ヤキ入れるんですがね〜」
司葉「叔父甥の縁は切ってる。だが、ここではやめとけ」
高志、割ってはいる。
高志「あの、会長。お聞きしてよろしいでしょうか?」
司葉「何だ?」
高志「克己さんは、どういう方でしょうか。やけに詩織が懐いてしまいまして」
司葉「まぁ、縁あって・・根津、判ったか?」
根津「調査書は後で提出しますが。市役所の堅物亭主との倦怠期に、母親が遊び上手な男によろめいて妊娠し、捨てられたって図ですね。世間体を気にする亭主と、責任転嫁する母親、年が離れてて家族扱いしない兄姉。今じゃ兄嫁が家に入ってますから、確かに居場所はありません」
司葉「マンションと会社は?」
根津「隣にひねた学生が住んでましてね。かなり悩まさたみたいです。会社は冷凍食品を作ってるんですが、材料より役員が腐ってる」
司葉「ふむ、本人から聞いた内容とほぼ一致してる」
根津「ただ・・どうも」
司葉「何だ?」
根津「調査の印象は陰気で頑な女性。今の克己さんと一致しない」
藤崎「ちょっと人見知りな所はあったなぁ」
根津「本人の心の中までは調べられませんから。会長も最近は元気がなくて心配いたしました」
司葉「いや、この年になると、死が身近でな。山寺を回って信仰を考えてみたくなった」
根津「へぇ、会長でも神仏を」
藤崎「不能明王とか」
根津は意味が判らず聞き逃すが、司葉は藤崎を睨みつける。
司葉「ネズミ、許す。ここでヤキを入れていい」
慌てて高志が口を挟む。
高志「詩織は確か、ママの匂いと・・」
司葉「由里も克己さんと会った時、懐かしい香りと言った」
根津「私は鼻が利く方ですが・・別に・・・」
藤崎「動物は聞き取れて人間には聞こえない音域のように、女性だけにしか匂わない体臭があるんですよ」
司葉「それは初耳だ」
根津「だから〜会長もヤブサギと呼びながら騙される」
司葉「嘘か?」
藤崎「いえ、相対性理論でアインシュタインが証明しております」
司葉「簀巻きにして湖に放り込んでこい!」
また高志が割ってはいる。
高志「つまり、香織と克己さんは体臭が似ているということですか」
藤崎「ともあれ、事故の後遺症から詩織ちゃんが回復するいいきっかけだ」
司葉「しかし、お前が立ち直らないとな、まず」
高志、3人の視線を浴びて俯く。
○克己の部屋
ベッドには一緒に詩織が寝ている。窓からの月を見ながら考え込んでいる克己。詩織が寝返りを打って克己に抱きつき、克己が愛しそうに胸に抱く。
○高志の部屋
布団が3人分敷いてある。浩志はテレビゲームをやっていて、高志が入ってきても目を離さない。
高志「詩織は?」
浩志「おばさんと寝るって」
高志「ずっと一人でいたのか?」
浩志「さっきまで慎さんがいた」
高志「そうか、適当に切り上げろよ。目に悪い」
浩志「わかってる」
高志、布団で寝てしまう。ゲームを続ける浩志。
○ 厨房
朝食の支度をしている克己と幸子。食堂から高志が入ってくる。
克己「あ、おはようございます。朝食はもうすぐお呼びしますので」
高志「いえ・・詩織は?」
克己「私の部屋でまだ・・申し訳ありません、勝手に連れていきまして」
高志「とんでもない。私たちがいる間、詩織をお願い出来ますでしょうか。私と浩志はご面倒をかけないようにいたしますので」
幸子「だいじょうぶです〜」
奥から幸子の声。
幸子「祐さんが〜手伝いに〜来てくれます〜お父さんが〜牧場の〜仕事休んで〜いいって〜」
高志「それこそご迷惑を・・」
幸子「私〜祐さんと〜一緒にいられて〜嬉しいです〜」
幸子、鼻歌で野菜を切っている。高志、克己に向き直る。
高志「会長には昨夜話しておりますので、宜しくお願いします」
克己「はい、私・・詩織ちゃんが大好きです」
高志「よかった」
一礼して高志、ロビーに移る。
○ 尾仁村公民館の柔道場
柔道着の慎一と浩志が組み合っている。浩志が頭半分高い。前に出ようとする浩志に、慎一はあっさりと背負い投げで決める。
慎一「力で押すだけじゃ駄目だ」
浩志「もう一本!」
慎一「よし、こい」
負けず嫌いの浩志、慎一と再び組み合う。
○公民館の玄関
老女が車椅子に乗っている。それを見守る黒スーツの高志と村民達。
老女「これは、軽くていいわ〜」
高志「レバーでギアを切り替えられます。ブレーキはこれです」
高志、車椅子の傍に座って説明する。
老女「でも〜高いんでしょう〜」
高志「四葉グループからの進呈です」
○尾仁村を少し離れた高台
2台の車。1台の運転席に根津、後部座席にスーツ姿の男二人。
根津「知事と佐多建設の密会は録音したか?」
中年「はい、写真も撮りました。ただ・・明正建設の服部営業部長が同席していまして・・」
青年、後ろの席から助手席に大きな紙袋を置く。
根津「やはりか」
青年「ご存知だったのですか?」
根津「身内の膿を出すのも仕事だ。次の指示を待て」
二人、車を出てもう一台に乗り、道の方へ消える。紙包みの中身を調べる根津。
○ 村長宅
縁側で村長と司葉が将棋をしている。
村長「新居を建てると言ったんやけどな〜、部屋はあるんやからここに住みたいと祐太がゆうて〜」
司葉「祐太がゆうたか」
のんびりお茶を飲む村長。司葉は盤から目を離さない。駒を動かす。
村長「前から〜好き合ってるのはわかっとったしの〜」
村長、駒を動かす。にやりと笑って司葉は王の前に金を打つ。
司葉「王手」
村長「まぁ、わしも〜まだ隠居しないし〜祐太を〜鍛えていくわ〜」
村長、角で金をとる。
司葉「待て・・角が何でここに来る?」
村長「次はわしの王手〜」
村長、取った金を司馬の王の横に打つ。
司葉「銀で止めてた筈だ!」
村長「さっき〜この金取るのに動かしたやんか〜」
司葉、思い当たって赤くなる。
司葉「・・あの・・一度だけ待ったを・・」
村長「あかん、あかん。集中せんか〜」
○観音屋敷、幸子の部屋
幸子と祐太が手を握り合って座っている。
幸子「婚礼終わるまでは〜あかん〜」
祐太「キ、キスは〜」
幸子「それは〜いっぱい〜ええよ〜」
二人、抱き合ってぎこちなくキスをする。
○観音湖湖畔
克己と詩織が笑いながら地面を探している。由里が二人に近づく。
由里「どうしたの?」
克己「詩織ちゃんが、四葉のクローバーが欲しいって」
由里、膝を折って手元の一本を抜き、詩織に差し出す。
由里「はい、どうぞ」
詩織、そのクローバーが四葉なのを見てにっこり笑う。
詩織「はい、克己ママ」
克己「あら、私に?」
詩織「四葉のクローバーは幸せだって本に書いてあったの」
由里、もう一本抜き、詩織に渡す。
由里「じゃ、これは詩織ちゃんが持ってて。克己ママとお揃いね」
詩織「ありがとう、克己ママと一緒〜」
受け取って、詩織、克己に抱きつく。
○ ロビー
ソファーで藤崎が退屈そうにコーヒーを飲んでいる。
藤崎「何だか取り残されてるような・・」
○観音屋敷、司葉の書斎
夜、机で本を開いている司葉。ドアをノックする音。
克己「あの、少しお時間を頂いてよろしいでしょうか?」
司葉「入りなさい」
克己が入室してドアを閉める。司葉が手でソファーを指し、克己が座る。
司葉「どうかしたかね?」
克己「虫のいい話とは判っていますが・・祐太さんから羽南市に尾仁村の農産物を扱っている明正グループのスーパーがあると聞きました」
司葉「うむ、三男がやってるチェーンだ。今の状況で健闘している」
克己「前の会社で仕入れ事務の経験があります。パートで雇っていただけないでしょうか?」
司葉「物を検めず伝票操作だけかな?」
克己「すみません」
克己、顔を赤くして身を縮める。
司葉「何故、羽南市に?」
克己「詩織ちゃんの・・近くにいてやりたいんです」
司葉「帰りたくないとぐずってるようだな」
司葉、電話をかける。
司葉「ネズミ、例の書類を持ってわしの書斎に」
司葉、電話を置き、克己に向かい合う。
司葉「それなら高田製作所に入ってくれないか。社長は高志だが、オーナーはわしだ。去年、高志の奥さんが事故死してから会社の雰囲気が悪い」
克己「私の仕事は?」
司葉「問題を見つけ、改善を提案する。高田一家のハウスキーパーも業務に入れておく」
ドアが開き、根津が入ってくる。
司葉「克己さんに手続きの説明をしてくれ」
根津「はい」
根津、大型封筒から書類を出して克己の前に置く。
根津「マンション、車、会社問題の委任状、住民票の異動、それに」
戸惑った様子で克己は司葉を見あげる。
克己「どういうことでしょうか?」
司葉「過去を清算してもらいたい。わしの直属になるなら」
克己、根津を見ると、根津は微笑んで頷き、ペンを差し出す。
克己「喜んで」
克己、根津が指差した部分に中を読まず署名する。
司葉「では、頑固者を説得してくるか」
司葉、書斎を出て行く。
○ 高田の部屋
浩志はテレビゲーム、詩織は不安そうに由里の傍にいて、高志を見ている。高志と司葉は部屋中央で向かい合い話している。
高志「会長のお言葉ですが、筋が違います」
司葉「どう違う」
高志「会社は任せていただいた筈です。口出しされるのなら、私を首にしてください。また、家の事は個人の問題」
司葉、振り返ってゲームをしている浩志に声をかける。
司葉「浩志はどう思う?」
浩志「詩織のお守りしなくていいから助かる」
由里が何か詩織に囁く。
詩織「パパ、克己ママが家に来るの?嬉しい」
詩織の顔が、ぱっと明るくなる。
由里「高志さん、私から頼んでも駄目?」
高志「姐さんまで・・」
由里「克己さんは、私にとって大事なお友達。世間知らずの彼女に、経験を積んで欲しいの」
司葉「尾仁村しか知らないお前が世間知らずと言ってもなぁ」
由里「おかしいですか?」
由里が司葉に詰め寄り、高志が頭を下げる。
高志「わかりました・・3ヶ月」
司葉「3ヶ月?」
高志「契約期間ということで・・」
司葉が迷ったように由里を見る。由里が頷く。
○羽南市の道
高志の車。運転は高志で助手席にポケットゲームをしている浩志、後部座席が克己と詩織。
「差別撤廃、みんなで作る優しい街 人権宣言都市・羽南市」の横断幕を過ぎて市内に入る。
詩織「あれが、ママと行ったお店」
詩織が嬉しそうに窓から明正スーパーを指差す。
克己「そう、今度私とも行こうね」
詩織「うん、克己ママと行く」
車は市街地を通り過ぎ、細い道に入る。
詩織「お兄ちゃんと詩織の小学校」
詩織が学校を指差す。橋を渡り、土手を下って、車は農道を行く。田を潰して造成したような工場が見える。車を工場の横の家の前に止める。
○高田製作所
菊池「社長、お帰りなさい」
大坪「お疲れ様です」
有吉「うーーあーー」
工場の扉が開き、作業服で元気そうな若い3人の男が出てくる。四人、車から降りる。
高志「何だ、今日は休みだぞ」
菊池「すみません、東保養所の納期があるもので」
高志「代休はちゃんと取れよ」
大坪「さっき始めたばかりです。半端な時間ですから」
有吉「うーーうーー」
高志「会長付きの橋本克己さんだ。会社の実態調査と社宅の管理をしていただく」
克己「橋本です。よろしくお願いします」
高志の紹介に戸惑いながら、克己は三人に頭を下げる。
菊池「菊池です」
大坪「大坪です」
有吉「あーおーあう」
高志「有吉は舌が切れて言葉が分かりにくいが、仕事は出来ます」
菊池達の表情が曇っている。
○ 社宅、管理人室
管理人の坂田芳郎(65)と妻の芳子(60)が困惑した顔で高志を見ている。
坂田「あの方が管理されるというのは、私ら辞めろということでしょうか」
高志「いや、102号室に住みますので、ここの仕事を教えてあげてください」
坂田「でも、そうすると、私達の仕事をやられるわけですから」
高志「3ヶ月の約束です」
坂田「3ヶ月過ぎたら?」
高志「会長が決められるでしょう。でも、心配いりません」
詩織が入ってくる。
詩織「パパ、詩織も克己ママの部屋がいい〜」
高志「克己さんは何て言ってる?」
詩織「パパが許してくれたらいいって〜」
高志「そうか、後で話すよ。克己さんと一緒にいなさい」
詩織「はーーい」
詩織、出て行く。驚いた表情で、坂田夫婦が見送る。
芳子「つまり、克己さん、香織奥様の代わりを」
高志「えっ?」
芳子「詩織ちゃんの面倒とか家事をやって、ここの手伝いをしてくれて、会社が良くなるように考える、香織奥様と同じですね」
高志「まぁ・・大体は」
芳子「わかりました」
芳子、にっこり笑う。高志、ちょっと顔をしかめるが何も言わない。
○居酒屋
奥の座敷に、菊池、大坪、がビール、「私が運転手」ワッペンの有吉はジュースを飲んでいる。佐藤(52)が入ってきて席に座る。店員が近寄る。
佐藤「本日のお勧めをくれ、車だから飲み物はウーロン茶でいい」
店員が注文を復唱して去り、佐藤は菊池を見る。
佐藤「それで、どういう事だ?会長のスパイ?」
菊池「判らないんですよ、専務。会長付きで会社の実態調査と社宅管理と社長は仰いました」
大坪「でも、詩織ちゃんは克己ママとか呼んでなついてます」
佐藤「年齢は?」
大坪「そうですね、20代後半か30代前半」
菊池「どうしましょうか?やっぱりスパイですかね〜」
佐藤「観音湖に呼ばれれば、何かあるとは思ったが・・」
大坪「でも、初めてじゃないでしょう」
佐藤「会長の奥様が香織さんを気に入ってらしたからだ。状況が違う」
有吉「「うーうーうー」
佐藤「いや、優しそうな人とか、そういうのは関係ない」
大坪「でも、坂田のおばさんは、会長が社長の再婚相手に送り込んだんじゃないかって言ってました」
佐藤「なるほど・・そういう見方もあるな」
菊池「どうなるんですかね〜」
佐藤「俺は社長のやり方に反対だ。お客優先と言っても、企業であれば利潤を追求する。赤字を免れているが、合理化は必要だ」
有吉「あーーううあーー」
佐藤「程度問題だ、有吉。会長は甘くない」
菊池「鬼の司葉健、仏の司葉健・・専務は会長に会われた事があるんですか?」
佐藤「20年前まで明正電気にいたからな。たまたまの挨拶程度だ。顔も名前も覚えておられないだろう」
大坪「恐い方ですか?」
佐藤「そりゃ、ひと睨みで知事だって身が縮む。今の社長の状態じゃ、とても対抗できない」
菊池「社長が辞める事になったら、専務が次の社長ですか?」
佐藤「まさか。あっさりと倒産させられるよ」
大坪「3ヶ月らしいです。あの人がいるのは」
佐藤「会長の猶予期間だな。その間に何とかしろと・・駄目だったら会社を整理するつもりだ」
菊池「どうします?」
佐藤「とにかく橋本克己、その女の前で会社のだらしない所は見せるな。経理は調べられても大丈夫だ。役員室に会長の写真を額縁に入れて飾っておけ」
菊池「そんなもん、売ってますか?」
佐藤「明正スーパーに伝手があるだろう。事情を話してコピーでも貰って来い」
有吉「うーあーあーうー」
大坪「大丈夫だって、有吉。俺達の会社だ、潰されてたまるか」
○社宅・克己の部屋
部屋には詩織の勉強机やぬいぐるみも運び込まれている。布団で疲れて眠っている詩織。それを確かめて、克己は部屋を出る。玄関を過ぎてすぐ高田の家の裏口。
○高田の家
克己、廊下を進んでリビングに入る。リビングでは、ソファーで高志がウイスキーを飲んでいる。
克己「詩織ちゃん、寝ました」
高志「どうも、まったく世話になりっぱなしで」
克己「あの・・余計な事だと思うんですけど」
克己、高志の前に座る。
高志「何でも仰ってください」
克己「浩志君、ゲームのやりすぎじゃないでしょうか」
高志「そうですね・・」
高志、グラスの氷を見つめる。
高志「私の家は貧しくて、おもちゃなんか何もなかった。それで、子供には自由に育って欲しいと思ったんですが・・限度が判らない。男の子だから、自分の事は自分で責任を持て、それだけを言ってます」
克己「私も、今の子供達ってわからないんですけど」
高志「詩織は、甘えたがりですし・・母親の事故死を目前で見てますから・・男親じゃ役に立たないんです。詩織の事を頼みます」
克己「3ヶ月は、私に出来るかどうかの試用期間ですね」
高志「我々は嫌われ者なんです」
克己「どういう意味ですか?」
高志「坂田さんが教えてくれますが・・自治会を除名されています。半端者と障害者が多い会社で、近所じゃ入れる店も限られています。詩織だけでも、伸び伸びと育つ環境をと考えていました」
克己「差別ですか?」
高志「公民館の館長は健全な地域作りの為と言ってますがね。貴方も嫌な思いをするでしょう。それでも、会長と姐さんの期待がある」
克己「私の為の3ヶ月?」
高志「まぁ、区切りと考えてください」
高志、ウイスキーを飲み干し、瓶の蓋を閉める。
克己「明日の朝は?」
高志「私は会社で朝食を取ります。7時頃に浩志と詩織に朝食をやって下さい。7時半過ぎに、今は集団登校とかで、学校近くまで送ってやってくれますか」
克己「わかりました、おやすみなさい」
高志「よろしく」
克己、裏口へ出て行く。
○高田の家の前
早朝、克己と詩織、浩志が玄関から出てくる。浩志は不機嫌な顔。会社の前にはマイクロバス。後部から車椅子の人を降ろしていた有吉が三人を見つける。
有吉「おーあーーよー」
克己「おはようございます」
克己、バスの周囲にいる車椅子の人たちや、手伝っている人たちに挨拶を交わして詩織と手を繋ぎ、学校へ道を進む。浩志は少し前を歩いている。
浩志「だから明日の朝はトーストにしてよ、おばさん」
詩織「克己ママ、詩織はご飯とお味噌汁がいい」
克己「浩志君、一緒に食べるんだから、同じがいいわ」
浩志「お父さんは別じゃないか。僕、先に行くよ」
浩志、脇道へ走り去る。克己も後に続こうとするが、詩織が止める。
詩織「克己ママ、学校はこっちの道」
詩織に袖を引かれ、克己は道を進む。
○市道、藍川橋
山田敦子(26)と小学生が3人、橋の欄干傍にいる。克己と詩織が合流する。
陽介「詩織ちゃん、おはよう〜」
翼「おはよう〜」
絵理「おはよう〜」
詩織「おはよ〜」
敦子、戸惑ったように克己を見る。克己、会釈する。
克己「家政婦の橋本克己です。これからは私が詩織ちゃんを送ってきます」
詩織「克己ママよ」
陽介「へー、新しいママなんだ」
克己「違います、ただ詩織ちゃんがそう呼んでいるだけで」
克己と敦子が歩き出し、子供達も話しながら付いてくる。
敦子「陽介の母で山田敦子です。浩志君は?」
克己「途中で先に走っていきました。山田・・もしかして御主人は尾仁村の人ですか?」
敦子「よくご存知ね。こちらの出身?」
克己「いえ、ここに来る前、尾仁村でお世話になって」
敦子「え〜、それじゃ、かのさんの新しいお友達?」
克己「はい?ええ、由里さんにはよくしていただきました」
敦子の硬い警戒する表情が消えて、満面の笑みに変わる。
敦子「主人だけじゃなく、私の母も尾仁村なの。盆、正月には尾仁村に帰るわ。さっちゃんが結婚するそうね」
克己「ええ、祐太さんと」
通りで他の集団登校の流れに合うが、会釈だけで敦子は合流しない。
敦子「祐太さんって知らないけど、真面目だって主人の兄が褒めていたわ。さっちゃんとは仲良しなの」
藍川小学校の校門に着く。
詩織「克己ママ、迎えに来てくれる?」
克己「ええ、待っててね」
詩織、にっこり笑って他の子供達と校門に入る。見送る克己と敦子。
○山田敦子の家
リビングからコーヒーとお菓子を運んでくる敦子。克己はソファーでアルバムを見ている。
敦子「2年前の海水浴。これが香織さん」
克己「綺麗な方」
敦子「とても明るくて優しい人。皆に好かれてたから公民館と自治会も製作所に手を出せなかった」
克己「社長から聞いたけど自治会を除名されたのね」
敦子「ちょっと待って、校区地図があるわ」
敦子、電話台の引き出しから地図を出して、テーブルに広げる。
敦子「藍川校区は、商店街の藍川西町、学校のある藍川中町、住宅街の藍川新町、川を挟んで私の上原町、製作所のある下原町の自治会に分かれていて、上原町と下原町は校区統合で5年前に藍川校区に編入されたの」
克己「下原町の自治会長が製作所を嫌ってるのね」
敦子「自治会長はね、安藤建設の社長なの。安く倒産した前の会社の土地と建物を手に入れるつもりだったのが、余所者の高田さんに横から買われて恨んでるみたい」
克己「自治会長の個人的な利害だけで?」
敦子「理由はいろいろ言ってるけど。風紀の乱れとか」
克己「公民館は関係あるの?」
敦子「羽南市の公民館長って、地域での権限が大きいの。上原、下原町が加わって、市内でも2番目の住民数だと威張ってるけど、権威を笠の建前ばかり。思い通りにならない高田製作所を嫌ってるというより、本当は恐がってるんだと思うわ」
克己「でも、好き嫌いで除名は出来ないでしょう?」
敦子「去年、市が健全街宣言で、優良店、企業の指定制度を作って、選定を公民館に委託したの。その条件に、暴力団関係者には売らないというのがあるのだけど、公民館長は高田製作所を暴力団資金源企業の疑いありとしたわけ」
克己「そんな・・」
敦子「優良店の指定を受けると、市の手続きが簡素化されるし、店にシールを貼れば宣伝にもなる。指定を取り消されない為に、高田製作所の出入りを禁止してるの」
克己「でも、どうして暴力団資金源なんて」
敦子「製作所の土地を手に入れるため、安藤建設は暴力団を使ったんだけど、高田さんが相手と知って、暴力団は手を引いたわけ。つまり、高田さんも暴力団だからというわけね」
克己「自治会に入ってないと、どういう不利益があるのかしら?」
敦子「ゴミの収集が来ない、市役所便りと公民館報が来ない、地域のイベントに参加出来ない、自治会が絡む学校連絡から外される」
克己「学校も関係あるの?」
敦子「詩織ちゃんと浩志君は登校の班に入ってないの。それで、香織さんと親しかった私達の班が連れて行ってるわけ」
克己「ひどいわ・・」
敦子「自治会役員会でね、高田さんにも釈明の機会はあったの。で、館長と安藤自治会長が、ヤクザじゃないなら、服を脱げと言ったらしい。入れ墨がないかどうかね。高田さん、勘弁してくださいって、退席したらしいの。それで、多数決で除名決定」
克己「観音屋敷で・・別に・・」
敦子「私も、詩織ちゃんに聞いてみたの。お父さんの体に絵が描いてないかって。ないって詩織ちゃんも言ってたわ」
克己「高田さんに聞いてみます。ちゃんと抗議しないと」
敦子「私もそう思う。おかしいと思ってる人は多いの。でも、自治会長や公民館に逆らうと生活に影響が出るから」
克己「敦子さんは大丈夫?」
敦子「かのさんに嫌われる方が、ずっと恐いわ」
敦子、にっこり微笑む。
○高田製作所
帰ってきた克己。製作所の中が騒がしい。中に入る。
亜美「品番を間違えたのは私なのに、何故黙って処理するんですか!」
高志「竹井君、もう解決している」
亜美「何も解決していません!社長が謝って、違約金を払って、どうして私を責めないんですか!」
高志「私は責任者で、契約だから」
亜美「それなら、私は担当者です!ミスをした張本人です!」
菊池「亜美ちゃん、抑えて・・」
亜美「菊池さん、大坪さんは、納品を間に合わせる為に休日出勤をしたんでしょう?有吉さんは、東保養所で怒られたんでしょう?どうして私に文句言わないのよ!」
佐藤「亜美君、もうよせ。忙しければ、ミスもある」
亜美「忙しければミスは普通ですか?それでいいんですか?専務」
佐藤「いや・・よくないが・・」
佐藤、克己がいることを目配せで亜美に知らせようとするが、興奮している亜美は気づかないで高志に向かい合う。
亜美「私が身障者だから叱らないんですか?それこそ差別です!社長なんて大嫌い!会社を辞めます!」
亜美、泣きながら車椅子の向きを変えて役員室から出て行こうとして、前に立ふさがる克己に気づく。
亜美「あ・・」
克己「竹井亜美さんね。社長も、会社も、仕事も嫌い?」
亜美「いえ・・大好きです」
克己「じゃ、辞めるなんて言わないでね」
亜美「でも・・私、初歩的なミスをして・・迷惑を・・」
克己「じゃ、ミスしてもチェック出来る方法を一緒に考えましょう」
亜美「はい・・」
亜美の車椅子に合わせて膝をついていた克己が立ち上がる。高志が周囲を見回した。
高志「皆に紹介しておきます。オーナーから3ヶ月間、会社の監査をやっていただく橋本克己さん。私の家、社宅の管理も手伝ってもらいます」
克己「橋本克己です。小さな会社の経理しかやった経験がありません。それでも一所懸命に頑張りますので、宜しくお願いします」
挨拶が終わった克己に全員が拍手する。克己、社長席の上にある額縁に気づく。
克己「あら?この写真は・・」
高志「私も気になっていたんですが・・誰か知ってますか?」
克己「確か、歴史小説家の司馬遼太郎です。見覚えがあります」
佐藤、菊池を睨む。菊池、俯く。
高志「司馬遼太郎の小説は私も好きですが・・何でここに?」
佐藤「あの・・財界での人気が高く・・流行してるそうです」
高志「そうですか、専務の判断なら別に構いません。では、仕事に戻ってください」
○校門
待っている克己。出てきた詩織が飛びつく。
○帰り道
手を繋いで歩く詩織と克己。
詩織「一緒のお買い物は、いつ行くの?」
克己「明日か明後日、根津のおじさんが車を持ってきてくれるの」
詩織「わぁ、楽しみ〜」
○工場裏の焼却炉
夕方、坂田と克己がゴミを焼却している。
坂田「社宅に、刺青入れてる奴がいるんですよ。社長が服を脱ぐことで潔白を証明したら、奴は黒になる。民生委員の斡旋で入社したのに」
克己「それだったら、若い人の更生に協力してるのでしょう?褒められても責められるのはおかしいわ」
坂田「民生委員は、押し付けようとした子を社長が断ったので逆恨みしている。社長は、仲間の喧嘩はいいが、女性を傷つけた奴は認めない。まぁ、館長も事務員も、民生委員も自治会長も地元の仲間だから」
克己「「事務員さんも関係あるんですか?」
坂田「実際に仕切ってるのは女事務員なんですよ。公民館の利用で、香織さんが川向こうの既得権に代表して苦情を言ったのを根に持っていたみたいです」
克己「何だか・・除名されて良かったような・・」
坂田「そう、今は私達もそう思ってます」
○ 高田の家
高志が居間に戻ると、浩志がテレビゲームをやっている。テーブルには一人前の食事。高志、座って食べる。
高志「詩織は?」
浩志「風呂に入って、おばさんの部屋」
高志「そうか」
後は、黙々と食べ続ける高志。
○ 居酒屋
奥の座敷、菊池、大坪、有吉と常務の佐藤。
佐藤「坂田のおばさんが正しいかもしれないなぁ」
菊池「社長の再婚相手ですか」
有吉「おーうーいー」
大坪「いいと思いますけど・・」
佐藤「うん、社長に再婚する気はない」
菊池「どうします?」
佐藤「協力する。無理と判っていても会長の希望だ」
有吉「うーうー」
○ 克己の部屋
布団の中で詩織に本を読んでいる克己。
○高田の家の前
明るい紫色の軽自動車KEI。にやついている根津と、不機嫌な高志。集団登校から戻ってきた克己。
克己「詩織ちゃんを学校に送ってきました。わぁ、素敵な車、本当にいいんですか?」
根津「はい、克己さんの車は会長が傷つけたんですから」
高志「だから、別の車に替えてくれ」
克己「えっ?」
根津「似た車が詩織ちゃんも喜ぶだろう。克己さん、これは香織さんの愛車と同じ色、同じ車種なんです。年代は違いますがね」
高志、工場から呼ばれて戻る。
根津「あいつは、忘れる気がないのに、思い出すのがつらいんですよ。家でも香織さんの物は見ないようにしてるでしょう」
克己「ええ、写真もありません」
根津「一種のうつ病ですね。さて、車の説明をしましょう。運転してください」
克己「はい」
根津が助手席、克己が運転席で車が発進する。
○羽南市内
車の中の二人。
克己「カーナビは助かります。これで走りながら憶えられるし」
根津「まぁ、3ヶ月だし、無理する事ないですよ」
克己「嫌です。ここで、必要な存在になります」
根津「貴女が?」
克己「おかしいですか?」
根津「岩手の貴女を調べました。確かに出生について同情すべき点はありますが、逃げ回って閉じこもっている。自分しか見てない。はっきり言って、甘ったれた嫌いなタイプです」
克己「私もそう思います」
根津、克己を見る。
克己「会長から己に克、克己という名前を頂いて、由里さんには友達と認めて頂いて、詩織ちゃんには、こんなに好かれて。私、もう逃げません。立ち向かいます。ここを私の居場所にします」
根津「近くで止めて」
克己、車を道の端に寄せて止める。根津、シートベルトを外す。
根津「応援するよ。助けが欲しいときは携帯に電話してくれ」
根津、克己に名刺を渡す。克己の車の後ろに、黒塗りの車が止まる。根津、車を降りて黒塗りの後部に乗る。黒塗り、そのままスタートする。
○製作所の事務室
夏服。亜美と克己が机を並べてPC作業している。亜美のデータを克己が加工。
克己「フォームを変えて、顧客データ、注文データ、製造データをリンクさせ、品番と価格を別に入力すればチェック出来るわ」
亜美「そうですね。価格が同じ場合は?」
克己「品番を間違えないように、小文字を使いましょう」
亜美が克己のデータを移し変えている。隣の会議室から話し声。
大坪「チャイルド用は、もう少し重くした方がいいと思います。風とかで倒れたら危険です」
高志「重くすると、下敷きになった場合も考慮しなければならないし、倒れたら周囲に迷惑をかける」
菊池「使い分け出来ればいいんですけど、競馬の鞍みたいに重りをつけるとか」
佐藤「付け替えはなぁ、安定性を高めないと」
高志「操作性はどうなる?女の子の力でも無理せずに動かせるか」
克己、立ち上がって亜美の肩に手を置く。
克己「詩織ちゃんを迎えに行って、買い物をしてきます。このやり方を検討してみて」
亜美「はい、すみません」
亜美、克己ににっこり笑う。
○ 校門
一人待っている詩織。克己の車が止まり、詩織が助手席に乗り込む。
克己「詩織ちゃん、スーパーで買い物ね」
詩織「はーーい、克己ママ。今夜ね、美香先生が8時に家庭訪問」
克己「今夜?何かあったの?」
詩織「知らない。家じゃなく、克己ママとの部屋に来るって」
克己「どんな先生?」
詩織「優しいよ」
克己「判ったわ。今夜は何がいい?」
詩織「ハンバーグ〜」
克己「カレーは嫌い?」
詩織「パパもお兄ちゃんも食べないから」
克己「じゃ、ハンバーグにするね」
詩織「わーーい、克己ママのハンバーグ、大好き」
○ 明正スーパー
尾仁村の肉、野菜をカートに入れている克己。詩織が新発売瓶詰め尾仁ミックスジュースを持ってくる。
詩織「克己ママ、これも買って」
克己「あら、出来たのね。ケースで買いましょう」
詩織「車で1本、飲んでいい?」
克己「いいわよ」
二人、レジに進む。
○ 克己の部屋
夜、詩織がドアを開けて栗原美香(35)を部屋に入れる。
美香「こんばんは、夜分にすみません」
克己「いえ、お世話になっています」
美香「高田さん、お父さんとお兄さんは?」
詩織「家にいる。呼んでくる?」
克己、美香のためらいを読む。
克己「詩織ちゃん、先生とお話するから、お兄ちゃんのとこに行っててくれる?」
詩織「はーーい、先生。尾仁ジュース飲んでね」
詩織、美香に笑って出て行く。美香、坐る。
美香「尾仁ジュースって何ですか?」
克己「尾仁村のミックスジュースです。私も詩織も村では飲んだ事があるんですけど、製品化されていたものですから。どうぞ」
克己。冷蔵庫からジュースを出してコップに分け、美香の前に置く。美香、飲む。
美香「おいしい・・」
克己「よかった」
美香「橋本さんは、尾仁村の方ですか?」
克己「いえ、知り合いがいるだけです」
美香「そうですか・・実は、他の父兄から苦情が来ていまして」
克己「何か?」
美香「幼稚園じゃないのだから、下校に迎えは禁止すべきだと」
克己「集団登校の班で、詩織と浩志は外されています。それに、子供にとって危険なのは、登校より下校じゃないでしょうか?」
美香「私もそう思います」
美香、ため息をつく。
美香「それに、高田さんは去年、下校時に集団で苛められました。それからは、お兄さんの授業が終わるまで待って、一緒に帰っていたんです。今はクラスで山田君たちが一緒ですし、橋本さんが迎えに来ていますから問題が起きずにすんでいます」
克己「その、集団で苛めた子供達の名前は判っているんですか?」
美香「苦情を言ってきた父兄の子供達です」
克己「どういうことでしょうか?」
美香「高田製作所は自治会から除名されています」
克己「はい、理不尽な決定と思いますが」
美香「ええ。今の小学校は地域に開放され、行事や講堂、グラウンドの使用で校区公民館と連帯しています。公民館は、自治会と地域協議会、老人会、婦人会、オヤジの会、こども会、趣味のサークルのまとめ役もしていますが・・幹部の大半は藍川中町と藍川西町の地元出身なんです。そしてPTA会の役員も・・」
克己「除名されて自治会費を払ってないから、子供は学校に行く資格がないと?」
美香「実は、藍川新町の自治会に加入してない家の子供も苛められてるんです」
克己「学校は見逃しているんですか?」
美香「校長は4月に赴任したばかりで、教頭は公民館長の飲み友達です。苛め問題は担任が責任を持って解決する事になっています」
克己「私達だけの問題じゃなかったんですね・・」
美香「校区出身の市議会議員が3人います。行事には必ず挨拶しますし、公民館報にコラムを持っています。安藤建設は市長の後援会長です。自治会に入っていないというのは、地区活動だけじゃなく、市政に対しても非協力的になるんです」
克己、美香のコップにミックスジュースを注ぎ足す。美香、礼を言って飲み干す。
美香「信じられませんわ、あの親の身勝手さ。それをごもっともと受ける教頭。で、命じられて説得役の私。明日、学校には理解を求めたが、受け入れてもらえませんでしたと報告します」
克己「私、市役所に相談してみます。ゴミの収集と機関紙だけの問題ならと我慢していましたが、根は深いんですね」
美香「それなら、市民相談課の山崎さんを訪ねてください。事情を知ってます」
克己「わかりました、ありがとうございます」
美香「それで、このジュースは何処で売っています?」
克己「明正ストアーに入荷していました」
美香「明日、買いに寄ります」
美香、すっきりした顔で微笑む。
○ 市役所、会議室
長机とパイプ椅子。待っている克己。三人の職員が入ってくる。克己、立ち上がる
河井「総務部の河井です」
山崎「市民部の山崎です」
立川「企画部の立川です」
克己「お忙しいところ、申し訳ありません。高田製作所の橋本克己です」
河井「お話をお聞かせ下さい」
克己「はい・・」
克己、話し始める。
○ 同、会議室
河井と山崎、立川が克己から離れた机で相談している。河井が頷き、三人、克己の前の席に戻る。
河井「まず、ゴミ収集についてご説明します。当然ながら、市民である高田さんにはゴミを収集させる権利はありますが、収集場所は自治会の申請で設定しています。最寄の収集場所の使用を自治会が拒否する権利はありません」
克己「でも、嫌がらせを受けています」
山崎「その話は後で。除名の問題ですが、下原自治会が校区自治会に申請して多数決により決定となっています。校区民の地域生活に甚大な悪影響を及ぼすという理由で、自治会として越権とは言いがたい部分があります」
立川「優良店指定制度についても同じです。溝田館長は市の暴力団追放委員会の会長で、市会決議をうまく利用しています」
克己「つまり、自治会や公民館が正当で、苦情を言う方が間違っていると?」
山崎「とんでもない。実態は我々も判っています。それで提案なんですが、独立自治会を設置しませんか?」
克己「独立自治会?」
立川「本来は飛び地や遠隔地の制度です。これで、ゴミ問題と除名による不利益は解消されます。申請を出していただけるなら受理します」
克己「わかりました、申請します」
山崎「自治会の名前は・・これが、けっこう難しい。下原第二とか高田自治会というのは誤解が生じますので」
克己「カオル自治会は駄目でしょうか?」
河井「カオル?どういう意味でしょう?」
克己「いえ、歌手のカオルさんが好きですから」
山崎「それ、いいなぁ。賛成です」
河井と立川も和やかに笑う。
立川「それで、公民館組織から離れたコミュニティを運営できます。これは有志で、公式に認められます。ネットをされるならお手伝いします。」
克己「もしかして、敵の敵は味方?」
河井「利害が一致するとお考え下さい」
克己「わかりました、宜しくお願いします」
○ 会社事務室
パソコンから目を上げて、時計を見る亜美。
有吉「あーおーうー」
大坪「克己さん、自治会設置でコミュニ会員集めしてるから」
亜美「ええ・・でも今日は約束してたの」
藤崎が入ってくる。
藤崎「やぁ、みんな元気に働いてるかな?亜美ちゃん、相変わらず可愛いね〜」
藤崎は明るいが、彼を迎えた事務室は目礼程度で無視している。役員室から高志が出てくる。
高志「お久し振りです、教授。今日は何か?」
藤崎「実は、警察署に我が四葉劇団の推薦をとろうと乗り込んだんだ。振り込み詐欺を題材にしてるから、老人会の集会でやらしてもらおうと思ってね」
高志「それで?」
藤崎「一般的じゃない、騙される方も悪いと言い張る刑事がいて、じゃ実験でその刑事の奥さんがどう反応するかを署長室で実験したわけだ」
高志「はい」
藤崎「私が刑事になりすまして電話した。事故で子供を轢いてしまったから、示談金を振り込めってね。すると、その奥さんが、それなら安川組に頼め、金を払わず解決させろって言い出した」
高志「警察と暴力団の癒着ですか。珍しくもない」
藤崎「まぁな、だが署長室は大騒ぎになって、追い出された。それで、お茶でも飲ませてもらおうかと寄ったのだが」
高志「それなら、役員室にどうぞ」
藤崎「いや、さっき克己さんにご馳走になった。それで、克己さんの顔色が悪いから、疲労回復の薬をあげたんだが・・」
事務室の動きが止まる。みんな、藤崎を見つめる。
藤崎「いや・・大丈夫・・副作用が出ただけで・・」
亜美「私、咳止めの薬で、下痢が止まりませんでした」
菊地「俺は胃薬で喉が腫れた」
佐藤「毛生え薬については・・思い出したくない」
有吉「あーーうーーうーーうーー」
藤崎「まぁ、体質もあるし・・」
高志「で、克己さんの副作用というのは?」
藤崎「まぁ、めまい、痺れ、眠気、熱が出る程度だ。今は部屋で横になってる」
大坪「それって、インフルエンザと同じ症状じゃないですか」
藤崎「うん、だから併発すると不味い。安静にして、あまり人は近づかない方がいいな」
亜美「社長、病院に行った方がいいんじゃないでしょうか?」
藤崎「こらこら、亜美ちゃん、私が医者だよ・・」
高志「大坪君、坂田さんに事情を話して、時間には詩織の迎えを頼んでくれ」
大坪が出て行く。
藤崎「それじゃ・・・あとはよろしく」
藤崎、冷たい視線を浴びながら出て行く。
○ 克己の部屋(克己の目)
目が開く。心配そうな詩織。
詩織「克己ママ、病気なの?大丈夫?」
克己の声「大丈夫よ。少し寝れば・・」
目が閉じられる。
坂田奥さんの声「薬の副作用の薬って売ってないし・・」
高志の声「教授の薬の副作用は一晩だけですから・・おそらく」
目が開きかけて、すぐ閉じる。
香織の声「克己さん」
目が開く。夜、ぼやけた白装束の香織(38)が微笑んでいる。
克己の声「香織さん・・私も死ぬんですか?」
香織「違うわ」
克己の声「私・・香織さんのようになりたかった」
香織「なれる、いえ、貴女しかなれない。貴女は私だから」
克己の声「香織さんが私?」
香織「貴方とは一つの魂から分かれたの。同じ魂を持つ存在なのよ」
克己の声「意味が・・わかりません」
香織「時と環境は違っても、私たちは同じ心を持っていた」
克己の声「私は私です」
香織「私は死んで魂に戻ってしまった。残した家族を貴方に託したいの」
克己「私は香織さんにはなれません」
香織「なれるわ・・私を受け入れて」
克己、ゆっくり目を閉じる。
香織「そして、浩志を・・」
克己の声「浩志君?詩織ちゃんじゃなく」
香織「浩志が、一番苦しんでる」
目を開こうとして、また閉じられる。
○克己の部屋
朝、鏡を見ている克己。ノックの音、坂田の奥さんが入ってくる。
克己「おはよう、ご心配かけました」
坂田妻「夜中、うなされてたみたいだったけど大丈夫?」
克己「そうですか?憶えていません」
坂田妻「まったく、あのヤブは・・私も痩せる薬を試しに貰って、腰痛で一晩苦しんだの。今日は土曜で学校は休みだし、のんびり寝ていたら?」
克己「とんでもない、もう元気です。朝食の準備をしないと」
克己、時計を見て部屋を出て行く。
○ 高田の家
キッチン、朝食を作っている克己。嬉しそうに手伝う詩織。高志が現れる。
高志「大丈夫ですか?」
克己「ええ、もうすっきり。新聞はテーブルの上。朝食はすぐ出来るわ」
高志「いや、すぐ出かけます」
克己「食べてからにして」
克己の強い口調に、高志が戸惑う。
克己「詩織、浩志君を起こしてきてね。朝食、お父さんも一緒だと言って」
詩織「はーーい」
詩織、子供部屋に走っていく。
○ 食堂テーブル
四人、朝食中。黙々と食べる高志、気にしている浩志。
克己「浩志君、おかわりは?」
浩志「もういい」
高志「ご馳走様でした。では、出かけます」
高志、玄関に向かう。克己、立ち上がって付いて行く。詩織が続き、浩志もつられる。高志が靴を履いてる時、3人が揃っていた。
克己「いってらっしゃい。遅くなるようだったら電話ね」
詩織「パパ、いってらっしゃい」
浩志「いってらっしゃい」
高志「ああ・・行って来ます」
高志、玄関を出る。3人、食堂に戻る。
詩織「克己ママ、今日は何をするの?」
克己「まず、お買い物」
後片付けをしている詩織、克己。テレビゲームを始める浩志。
克己「浩志君も一緒に行くのよ」
浩志「僕、留守番する」
克己「駄目、貴方の服も買うから。どうしてあんなに破れたり汚れたりするの?」
浩志「外で遊べば汚れるのは当たり前」
克己「ゲームはやめなさい」
浩志「何で?」
克己「本を読んだりする方が面白いわよ」
浩志は克己を睨み、ゲームの電源を落として自分の部屋に戻る。
○明正スーパーの2階、衣料品コーナー
浩志の服を選んでいる克己。迷惑そうな浩志。包装してある包みを大事そうに持っている詩織。男性店員が近づく。
店員「毎度ありがとうございます。高田製作所の橋本様ですね?」
克己「ええ、そうです」
店員「社長と店長がお話したいと申しますので、来ていただけないでしょうか?」
克己「司葉社長がいらっしゃってるの?」
店員「はい。お子様は私どもでお世話いたします」
克己「わかりました。浩志君、詩織、待っててね」
克己、店員に付いて奥の従業員専用口へ行く。
○店長室
応接セットの司葉社長(55)と店長、副店長が入ってきた克己に応対する。
社長「父がお世話になったようだね」
克己「逆です。私が大変、お世話になりました」
店長「克己さんは、このスーパーの事務をやりたいと会長に申し出られたそうです」
社長「それは無理だ。副店長くらいで勘弁してくれ」
副店長「え〜、そうすると私は・・」
店長「実は、藍川自治連会から高田製作所を出入り禁止するよう申し入れがあった。聞き入れなければ、校区で不買運動を起こすと」
克己「まぁ・・そこまで・・」
社長「父から、自分のオーナー会社でも高田製作所を特別扱いするなと言われているが、この事態を放ってはおけない。コミュニティの参加者を募集してるそうだね」
克己「はい、公民館は使えないので、ホームページの親睦組織です」
社長「店長に協力を惜しまぬよう指示してる。また副店長はネットの専門家だ、役に立ててくれ」
克己「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
克己、三人に頭を下げる。
○ 高田の家、居間
ソファーで本を読んでいる浩志。詩織は陽介と遊んでいる。克己と敦子、テーブルに地図とノートを広げて熱心に話している。相変わらずの黒服で高志が入ってくる。
克己「あ、ごめんなさい。気がつかなくて」
敦子「お邪魔しています」
高志「いえ、山田さんには世話になっています。どうかしました?」
克己「高志さん、コミュニの事務室を会社に作れない?狭くてもいいの」
高志「そうですね、役員室に仕切りを入れましょう」
高志、ちょっと眉をひそめる。
高志「カレーですか?」
敦子「私も帰って晩御飯を作らないと。陽介、帰るよ」
陽介「じゃ、詩織ちゃん、また明日」
詩織「うん、またね」
敦子と陽介が玄関に向かい、克己と詩織が送る。
○高田の居間
テーブルにカレーを並べる克己。詩織はスプーンを置く。克己は気になる様子をしながら、ソファーから離れない。着替えた高志が自分の部屋から出てくる。
克己「出来たわ。坐って」
高志「克己さん、前にも言いましたが・・カレーは苦手なんです」
克己「好き嫌いは駄目。浩志君まで食べないと言い出すから」
浩志「僕、お腹すいてない・・」
詩織、我慢できない様子で、自分の分を口に入れる。
詩織「おいしい、ママの味」
浩志「えっ?」
浩志、坐って一口食べる。
浩志「本当だ、お母さんの味だ」
高志、二人の様子を見て、自分も坐り食べる。
克己「沢山あるから、お代わりしてね」
食べている三人に、克己、にっこりと微笑む。
○居間
ソファーで書類を眺めている高志、克己が入ってくる。
克己「詩織、寝たわ」
ためらいなく、高志の横に坐る。
高志「どうかしたんですか?」
克己「何が?」
高志「いや・・話し方とか・・詩織を呼び捨てにしたり・・」
克己「私、香織さんになるの」
高志「克己さんと香織は別です」
克己「判りました?カレー」
高志「博多の湖月を懐かしがる私に、香織が苦労して作ってくれたカレーの味です。誰に聞きました?」
克己「香織さんに」
高志「香織が敦子さんに教えていて、それを克己さんが」
克己「もう、私との契約は残り1ヶ月ね」
高志「ええ・・」
克己「期限を過ぎても、私、居座りますから」
高志「それは、話し合って決めましょう」
克己「はい、じゃ寝ます。おやすみなさい」
高志「おやすみなさい」
克己、裏口の方へ去る。一人、考え込む高志。
○ 会社、カオコミ事務局
机が4つ向かい合い、洋子(21)真由美(21)と克己がパソコンで作業している。
真由美「局長、会員申し込みが千名を超えました。桁数を増やしましょう」
克己「まだ、サイトを立ち上げてないのに」
真由美「市民だよりに掲載されて、明正スーパーにチラシを置いてますから」
洋子「フォームはほぼ決まり、あとは微調整。市から最新情報が来ますし、公民館報なんて相手になりません」
克己「悪いわね、二人にはボランティアでやってもらって」
洋子「いえいえ、私達、明正スーパーに内定してます。カオコミが成功すれば、システムか広報担当に配属されるんですもの、頑張ります」
克己「あら?」
洋子「どうかしました?」
克己「メール・・カオルさんから・・」
洋子、真由美、席を離れて克己のパソコンを覗く。
「カオコミの克己さんへ
カオルより
初めてメールします。克己さんの事は、四葉チャットで前から聞いていました。私の名前でコミュニを作ってくれるそうで大変光栄です。嬉しくて、勝手に歌を作り添付しました。著作権等は譲渡いたします。
是非、私の公式サイトと相互リンクしてください」
克己、添付ファイルをクリックする。
〜カオルの歌〜
離れていても想いが繋がる
羽南の藍川から流れる糸で
○ 藍川小学校校舎の屋上
頭から血を流して倒れている吉川邦彦(11)
○小学校の会議室
会議室は衝立で入り口側と窓際で二つに分けられている。入り口側に机がコの字に並べられ、中央に浩志が立たされていた。事務員に案内されて部屋に入ってきた克己、すぐに浩志に駆け寄って抱きしめる。
参列者は、正面が教頭、学年主任、浩志の担任の女教師。右側が同じクラスの生徒の母親、竹井、浅山、吉富。左側が被害者吉川の両親。
教頭「高田浩志の保護者ですか?」
克己「はい、岡本克己です。吉川さんは?」
吉川父「私です。こっちは妻です」
克己、丁寧に頭を下げる。戸惑いながら、両親も答礼する。
克己「ここに来るまでに、事務の方から話をお聞きしました。邦彦君の具合は?」
吉川母「2週間の入院で、後には残らないと言われました」
克己「そうですか、良かった」
教頭「良くありません!怪我させたのは高田ですよ。保護者として責任を感じているんですか!」
克己、浩志の顔を見る。
克己「浩志、貴方が吉川君に怪我をさせたの?」
浩志「知らないよ、僕じゃない」
すねた表情の浩志に、克己、安心させるように微笑んでみせる。
克己「信じるわ。浩志がそんな事をする筈がない」
克己、吉川夫婦の横に椅子を二つ持っていき、浩志を角に坐らせた後、吉川妻の隣りに坐る。
竹井「何を勝手に坐ってるのよ、図々しい」
淺川「結婚もしてないのにのこのこ来て。ふしだら女」
吉冨「ヤクザの女ですもの、水商売上がりなんじゃない?」
向かい合う形になった同級生の親達が、一斉に克己へ非難を浴びせる。
教頭「許可していない。中央に戻りなさい」
克己「それで、浩志を立たせたまま加害者扱いで吊るし上げに?お断りします」
主任「高田がやったという証人が何人もいる。言い逃れは出来ないんだよ」
克己「浩志はやっていません。それが一番確かな事実です」
主任「何を根拠に言い切れるんだ?これが初めてじゃない、今までも喧嘩の苦情が来ている」
克己「浩志を知っています。嘘や弱いもの苛めは嫌いな子です」
担任「朝のホームルームで無記名のアンケートをとりました。クラスで半分以上の生徒が、高田君に苛められたり、苛めを見ています」
克己「その生徒さんたちより、浩志を信じます」
教頭「話にならんなぁ」
教頭、苦い表情で後ろの衝立を見るが、反応がないので向き直り、担任に耳打ちする。その間に、克己は吉川の母親に話しかける。
克己「邦彦君はどう言っています?」
吉川母「何も。恐がってるようで」
担任は席を立ち、竹井、浅川、吉冨に何か話す。三人が頷き、部屋から出て行く。
教頭「今回は、間違いなく傷害事件で、小学生だからと許せる内容じゃない。市教育委員会、児童相談所に報告するが、保護者にも見合った責任をとっていただく。吉川さんへ治療費と慰謝料、他の学校への転校、クラス全員への謝罪文」
克己「お断りします。浩志はやっていませんから」
主任「教頭、父親を呼びましょう。ヤクザですから警察立会いで」
浩志の顔色が変わる。克己、浩志の手を握る。
竹井「除名されて、カオル自治会ですって?バカじゃないの」
浅川「親でもないのに突っ張って」
吉冨「母親が死んで、ひねくれたのよ」
担任に連れられて、竹井、浅川、吉富の子供達が入ってくる。担任、椅子を持ってきて三人を坐らせる。
教頭「三人が証人だ。吉川君と高田が屋上に上るのを廊下から見ていた。高田が一人だけで降りてきたから、心配して屋上に行き、倒れてる吉川君を見つけて古沢主任に連絡し、救急車を呼んでもらった。間違いないね」
竹井「はい、そうです」
浅川「高田君以外、誰も屋上に行っていません」
吉冨「吉川君を起こしたら、高田君に殴られたと言ってました」
浩志、顔を真っ赤にして立ち上がる。
浩志「嘘つき、吉冨は僕と講堂にいたじゃないか!」
吉冨の母「まぁ、うちの子供を嘘つき呼ばわりして!名誉毀損だわ!」
衝立の後ろから、校長と警部が現れる。主任と教頭が席をずれて、中央に二人が坐る。
教頭「非公式に解決すればと思いましたが、無理なようです」
校長「そのようですね。こちらは県警の警部さんです。橋本さん、意見は変わりませんか?」
克己「もちろんです」
校長「浩志君、強いお母さんだね」
浩志、優しい表情の校長に、頷く。
警部「県警が出る話じゃないのですが、私の所にいろいろと送られてきました。まずは、この写真を」
警部、写真のコピーを回す。屋上で倒れてる吉川邦彦を蹴っている竹井、浅川は階段口で見張っている。
警部「衛星写真ですかね、時刻も入っています。それから、これ」
警部、携帯電話を見せる。吉冨、顔色を変える。
吉冨「返せ、俺のだ!」
警部「そう、吉富君の携帯だね。写真とメールを校長と一緒に見せてもらった。竹井君、浅川君との送受信メインで。橋爪先生、さっきアンケートをとったと言われましたが、誰と作られました?」
担当「それは・・」
警部「クラス委員の竹井君と作り、竹井君が配っていますね。女の子に送った脅しメールもありました。字で誰が書いたか判る、高田に苛められたと書かなければ、裸の写真をネットに載せる。爪とイノは俺達の味方だ」
浅川、立ち上がる。
浅川「吉川も高田も自治会費を払ってない。地域を乱す寄生虫だ、そうだよね、ママ」
浅川の母「勇ちゃん、黙っていなさい」
竹井の母「盗み撮りや携帯は証拠になりません。プライバシーの侵害です」
警部「私は警官です。法律については貴方より詳しい。ここでの会話も録音しています。たとえば・・」
警部、ポケットから録音機を出してスイッチを入れる。
『教頭「今回は、間違いなく傷害事件で、小学生だからと許せる内容じゃない。市教育委員会、児童相談所に報告するが、保護者にも見合った責任をとっていただく。吉川さんへ治療費と慰謝料、他の学校への転校、クラス全員への謝罪文」』
警部、スイッチを切る。
警部「吉川さん、克己さん、後は校長にお任せしませんか?学校の回答によっては、弟の元嫁さんに話を通しますから」
克己「根津さんのお兄さんですね」
警部「はい、浩志君は憶えてた?」
浩志「うん、でも言わない方がいいと思って黙ってた」
警部と吉川夫婦、克己と浩志、正面の校長にだけ礼をして部屋を出る。
○ 羽南市民病院
玄関にパトカーが止まり、吉川夫婦、克己と浩志が降りる。運転の警部に頭を下げ、中に入る。
○吉川邦彦の病室
邦彦のベッド。両親、克己、浩志が周りにいる。
邦彦「ごめん、いつも守ってもらってるのに・・高田君にやられたと言わなきゃ、弟も苛めると言われて」
浩志「言わなかったじゃないか。僕なら・・詩織を傷つけると言われたら・・吉川は偉いよ」
泣く邦彦、励ます浩志。
吉川父「ちょっとよろしいですか?」
克己「はい」
二人、病室を出る。
○病室近くの休憩コーナー
缶コーヒーを持った吉川父と克己が長椅子に坐っている。
吉川父「藍川新町の家を買って5年になります。一生住むつもりですから、すぐ自治会に入りました。妻は趣味人間で、公民館のサークルに入ろうとして会員の紹介が必要と断られ、絵の会を作って公民館の利用を申し込んでも、時間の空きがないと相手にされませんでした。そのくせ、こちらの都合を考慮せずに、市のイベント、公民館イベントとやたらと動員をかけられるんです。ずっと休みを潰されて、我慢できずに自治会を脱退しました」
吉川父、憤りの表情で、缶コーヒーを飲み干す。
吉川父「抜け虫狩りという苛めの噂は聞いています。泣き寝入りする気はありません」
克己「どうされるのですか?」
吉川父「今回の件を周囲と相談します。動員のおかげで、町内の知り合いは増えました」
○市民病院近くの海岸
海岸を歩く克己。遅れて付いてくる浩志。
浩志「帰ろうよ。詩織を迎えに行くんでしょう?」
克己「まだ時間あるわ。私と二人はいや?」
浩志「そんなことないけど・・」
克己、振り返って浩志を抱きしめる。
克己「ごめんね、わかってあげなくてごめんね」
浩志「僕・・」
克己、近くの草むらに腰掛ける。
克己「立派だったわ、浩志を誇りに思う。でも、一人で我慢しないで。甘えていいのよ」
浩志「克己ママ〜」
浩志、堰が切れたように、克己の胸に顔を押し付けて泣く。
浩志「男は甘えるなってお父さんが・・お母さん、死んじゃって・・克己ママは詩織のママだから・・でも僕は・・僕は・・」
克己「お母さんに頼まれたの、浩志をよろしくって」
浩志「だって・・克己ママはお母さんを知らないんじゃないの・・」
克己「私の中にいるの、香織さん」
浩志「本当に?」
克己「本当よ」
浩志「お母さん・・」
浩志、甘えるように克己の膝に頭を置く。
○ 海岸道路
道路から浩志と克己がいる場所を見おろす。駐車の車、運転席に根津、助手席で半ズボン姿の慎一はイヤホンをつけている。
根津「どんな様子だ?」
慎一「大人って汚いな。人のせいにばっかしている」
根津「盗聴器は何処につけた?」
慎一「盗んだ例の携帯。どうせ証拠隠滅に捨てるだろうから、回収は難しいな」
根津「しかし、慎一のチビが役立った。小学生そのものだ」
慎一「うるせ〜、ちゃんと約束のバイト料、払えよ」
根津「約束?記憶にないな〜」
車、発進して遠ざかる。
○羽南市役所、市長室
窓際の机で外を眺めている市長。河井、山崎、立川が入室してくる。
河井「失礼します、市長。お呼びだそうで」
市長「掛けたまえ」
応接セットに、3人と市長が坐る。
市長「さっき、市会議員7人からカオコミについて苦情があった。市の情報が掲載され、自治会運営に支障をきたしてるそうだ」
山崎「市の公式ホームページから抜粋した内容です。機関紙より情報を早く伝達出来ますし、広報、市民サービスへの協力を感謝すべきでしょう」
市長「自治会を地盤としている議員には気に入らないらしい。私も安藤建設から、手を打たないと後援会長を降りると脅されている」
河井「おやおや、縁を切るチャンスですね」
市長「まぁな、それでカオコミの状況は?」
立川「仮オープンで、平均アクセス数が約2万。会員は3千を超えました。協賛の明正スーパーは会員割引で、売り上げ倍増のようです」
市長「。羽南の藍川から流れる糸で〜♪この歌、会員は無料でダウンロードできるそうだな。市の広報ソングとして検討しよう。住民ネットコミュニは、立川君のアイデアだったね」
立川「一部住民の特権意識や差別を増長する体質を見直す一石だったんですが・・苛め問題で藍川新町自治会が分離し、藍川西商店街の客が激減しました。改善を試みて改革を迫られています」
山崎「元から絶たないと駄目ですよ。改革、結構」
河井「行政が指導と言いながら押し付ける流れを、住民の提案や意見を吸い上げて対応するシステムへ変えれればと思います」
市長「いいだろう。君達のプロジェクトを進めてみなさい」
○会社、カオコミ事務局
夜、夏服の洋子と真由美がパソコンを操作している。落ち着かない様子の克己。
洋子「明正システムから壁紙の選択依頼です」
克己、自分のパソコンで候補の壁紙を順番に開く。
真由美「これ、みんな会員の人の作品ですよね。コーナーで公開できませんか?」
克己「そうね、海をモチーフにした5番目で試してみるわ」
克己、サイトの壁紙を変える。
洋子「いいですね、これで回答しますか?」
克己「ええ、それからコーナー公開も提案してみて」
洋子「はい」
戸が開いて、高志が入ってくる。緊張する克己。
高志「お疲れ様。今夜は遅くまで頑張っていますね」
真由美「オープンが近いですから。でも藍川有志会と明正がまとめてくれて、私達はチェック程度です」
洋子「もう、終わりましたから帰ります」
克己「浩志と詩織には、待たずに寝るように言ってます」
真由美と洋子、挨拶をして出て行く。克己と高志が部屋に残る。高志、空いている椅子に坐る。
克己「高志さん、教えて。今日で期限の3ヶ月、私はどうなるの?」
高志「克己さんは、家にとっても会社にとっても、かけがえのない人です。これからも宜しくお願いします」
克己「良かった・・」
克己、涙ぐむ。
高志「克己さんに比べて、自分の不甲斐なさに呆れます。本当に、何もしなかった」
克己「これからは・・一緒に・・」
高志、表情が暗い。
高志「克己さんがいれば大丈夫です。私はイラクに行きます」
克己「イラク!どうして・・」
高志「米軍の爆撃で苦しんでいる現地の人の役に立ちたい」
克己「そういうことね。そんなに死にたいのね。家族を捨てたいのね」
高志「いや、そういう意味では・・」
克己「爆撃が高志さん、亡くなったのがマコトさんのご家族で、苦しんでいるマコトさん・・そんなこじつけまでして死にたいんですか!」
高志「誤解です・・」
克己「高志さんがうつ病なのは皆が気づいている。香織さんが亡くなって空いた穴、私では埋められないの?私では香織さんの代わりは出来ないの?」
高志「克己さんには、心から感謝しています」
克己「それなら、感謝のキスくらいしたらどうなの!」
怒りで立ち上がる克己。高志、近づいてキスする。克己、目を閉じて高志の体に腕を回す。
克己「本当に、鼻は邪魔にならないのね・・もういいわ。高志さんの思う通りにして。浩志と詩織は私が一人で立派に育てます」
高志「香り・・」
克己「えっ」
高志「いや・・でも・・」
高志、離した克己の体をもう一度抱きしめる。
高志「私に・・生きる価値があるんでしょうか・・」
克己「私も・・同じように迷って自殺しようとしたわ」
高志「克己さんが?」
克己「知ってる?詩織が、由里さんからもらったクローバーの葉にパパ、克己ママ、お兄ちゃん、しおりって書いてるの。四人が揃わないと幸せにならないって」
高志「いいんですか?こんな私で」
克己「私、香織さんから・・高志さんが本当はどんなに勇気があって優しい人か聞いています。香織さんが愛した高志さんを・・私も愛しています」
高志「ありがとう、一緒になってくれますか?」
克己「喜んで」
克己、うれし泣きする。
○観音屋敷の玄関
入ってくる藤崎の前に司葉が立ち塞がる。
司葉「何でお前が来る?」
藤崎「いや、高志君と克己さんの婚礼と聞きましたから」
司葉「そうだが、招待していない。二人とも呼ぶ身内がおらんし、親しい人間だけだぞ」
藤崎「知らないからそんな冷たい仕打ちをするんですよ、私こそ二人のキューピットなのに」
通りかかった根津が近づく。
根津「誰がキューピーですか」
藤崎「根津君、君なら私と恵子君の果たした重要な役割を知っているだろう」
司葉「また、なにかしょうもない小細工をしたな」
藤崎「内緒なんですが、克己さんの寝枕に現れた香織さん、あれは恵子君なんですよ。私の薬で朦朧としている克己さんに私の演出、脚本、恵子君の名演技で暗示にかけました。今でも克己さんは、香織さんが自分の中にいると信じています」
司葉、根津を見る。
司葉「そうなのか?ネズミ」
根津「まぁ、幾つかの疑問はありますが」
司葉「何だ?その疑問というのは」
根津「恵子は、天使役の翼や金の輪をくっつけて乗り込んでますが、香織さんは白装束だったと聞いてます」
藤崎「そこはそれ・・薬が効きすぎて・・」
根津「で、恵子によると、克己さんは、さかんにあーうーおーと呻いていたとか」
藤崎「あーうーおーって・・まさか・・」
藤崎の表情が変わる。
根津「有吉が、次の日に変な夢を見たと怯えていました。ちなみに、彼の部屋は克己さんの向かいです」
藤崎「待て、待て、霊なんて信じない。行き違いはあったかもしれないが・・」
根津「それに、香織さんは克己さんに特製カレーを伝授しています。インスタントラーメンすら失敗する恵子には、いくらヤブサギ教授の克明なレシピがあっても無理です」
司葉「どんなカレーだ?」
藤崎「私が知るわけないでしょう・・」
藤崎、不貞腐れる。
司葉「まぁいい、もう一つ祝いが重なっておる。上がれ」
藤崎「何ですか?もう一つって」
司葉「由里が妊娠した。間違いなく女の子だな」
機嫌よさそうに根津と奥へ消える司葉。唖然としている藤崎。
藤崎「やっぱ、100万で突っ張るべきだったなぁ〜」
○ENDマーク
|