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○ 未舗装の狭い山道
春の午後、急な山道に軽自動車が止まっている。小雨。ガードレールはなく道路脇の下は崖。後部座席はボストンバックと小物などが乱雑に入ったダンボール。橋本克子(28)が疲れた表情で運転席に体を沈め、フロントガラスからぼんやりと外を眺めていた。手はサイドブレーキを握っている。
○山道の崖(イメージ)
道を越え崖から落ちる克子の軽自動車。岩に激突して燃え上がる。
○山道、車
ウインドウを叩く音。克子が目を開く。厳しい表情の司葉(83)が覗き込んでおり、克子はウインドウを開けた。車のCDプレーヤーからカオルの曲が流れている。
司葉「車両通行止めの標識を見なかったのか?」
司葉はラフな登山スタイル。
克子「気がつきませんでした」
司葉「このままだと下がぬかるんで危ない」
克子「何とかします。構わないでください」
迷惑そうに顔をしかめてみせる克子を司葉は無視する。
司葉「先は狭いが、バックで戻るのも無理だ。わしが運転する。替わりなさい」
諦めたように克子は助手席に移る。司葉が乗り込むと、車が前に動く。司葉は素早くシートベルトを締め、スタートさせた。CDを止める。
タイトル「四葉のクローバー〜若葉〜」
○舗装してある林道
細い道から克子の車が林道に入って止まる。運転席の司葉、汗を拭って助手席の克子を見る。
司葉「オフロード車でもきつい道を、よく登れたものだ。しかし、軽だからこそ角を切り抜けられた。車体の傷は諦めろ」
克子「ご迷惑をおかけしました」
克子が司葉に頭を下げる。
司葉「余計なお節介だったか・・」
克子「えっ?」
司葉「あのまま崖から落ちたかったんじゃないか?」
司葉の聞き方は、詰問ではなく確認する感じ。
克子「どっちでも良かったんです」
克子、投げやりに答える。
司葉「生への執着も死の恐怖もないか。わしの年齢でも、なかなかそうは達観出来ない」
克子「いえ、何となく面倒になって」
司葉「何となく?」
克子「疲れて旅に出たんですけど・・旅にも疲れました」
司葉「それで、生きるのにも疲れたというわけか」
克子「ずっと国道を走っていて・・前や後ろや反対車線の車が煩わしくなって・・だから横道に入ったら身動き出来なくなって・・こういうものだ、どうにもならないものだと思ったら、もう何もかもが虚しくて」
司葉「あんたが死んで、悲しむ人の事は考えなかったのか?」
克子「誰も悲しみません」
克子、突き放すような言い方。
司葉「結婚は?」
克子「私、男嫌いというより人間嫌いなんです」
司葉「愛したり、愛されたりした経験はないのか?」
克子「愛してくれたのは祖父母だけです。5年前に亡くなりました」
司葉「寂しさに耐え切れずという事かな、死んでもいいというのは」
克子「違います、孤独は私が望んだ生き方です。でも、周囲はそれを許してくれない」
司葉「孤独に生きるか・・一番難しい生き方じゃろう。運転を代わってもらえるかな?まっすぐ進めばいい」
克子「わかりました」
司葉と克子、車の外に出て席を入れ替わり、スタートさせる。
司葉「この道は師笠山脈の中腹を横断していて、里山路から羽中市への国道、中国自動車道へのインターに繋がる」
克子「あの・・おじさんは、どちらに?」
どう呼ぶかで迷った様子の克子に、司葉が少し笑う。
司葉「おじさんか、わしを幾つくらいだと思う?」
克子「父より少し上・・60の後半かしら」
司葉「これでも大正生まれだ」
克子「それじゃ・・祖父より上・・とても見えません」
克子の硬い表情が和らいだ。
司葉「いつ死んでもおかしくない年齢だ。若い女性と心中というのも悪くなかったな。山寺巡りをしていたが、この道を進むなら尾仁村へ行きたい。1時間ほどだ」
克子「尾仁村・・恐そうな名前ですね」
司葉「戦乱を嫌った農民の隠れ里で、山奥にあるから猿呼ばわりされて尾のある人、尾仁となった」
克子「1時間なら、そこまでお送りします」
司葉「どれくらい旅してる?」
克子「岩手から裏日本沿いに2週間ほどです」
司葉「女一人じゃ、泊まる所にも苦労されただろう」
克子「車で寝る事が多くて。昨日もそうでした」
司葉「尾仁村の村長は知り合いだ。旅館はないが、公民館に泊まれる。今夜はゆっくり休んだらどうだ?」
克子「あの・・」
司葉「わしは、司葉健太郎、隠居みたいなものだ」
克子「私は橋本と言います、司葉さんはどうされます?」
司葉「まぁ、妻の家が近くにあるから・・今夜は村長と将棋でもして、明日は顔を出そう」
克子「奥様の家って、別居されてるのですか?」
司葉「ま・・いろいろと事情があって・・」
司葉、言葉を濁し、ごまかすように胸ポケットから携帯を出す。
司葉「この辺りは圏外で携帯は通じないが・・別の使い方も出来る」
携帯から流れてきたギター伴奏とカオルの歌に驚く。
司葉「初めて聞くだろう、この歌は」
携帯から流れるカオルの歌
〜会えなくても伝わる想い♪
見えなくても感じている♪〜
曲が終わり、克子が涙ぐんでる。司葉は克子から目を逸らして外を見る。
克子「私、カオルさんの大ファンなんですけど、私の周囲にカオルさんを知ってる人はいませんでした」
司葉「これはカオルが友達の為に歌ったものだ。その友達からもらった」
克子「カオルさんは、アルバムのポートレートだけで本名も住居も秘密ですよね」
司葉「そうだな、あまり話すわけにはいかないが・・可哀想な子だ」
克子「カオルさんが?こんな素敵な歌が作れて、あんなに美人で」
司葉「病気でな・・あと何年生きられるか・・」
克子「そんな・・」
司葉「自分のファンが、自分の曲を聴きながら自殺したと知ったら、カオルはショックを受ける」
克子「すみません」
司葉「カオルは歌でみんなを励ましたいんだ。生きる事が大切だと」
克子「生きるには場所が必要です。私が居られる場所が」
司葉「居場所より、心の置き場所だよ」
克子「心の置き場所・・」
司葉「あんたは孤独を望んだ。だから、体の居場所がなくなると、心の置き場所もないように思ってしまう」
克子、考えこむ。
克子「私・・克子といいます」
司葉「橋本克子さんか」
克子「克子って・・父がカッコーと呼ぶ為につけたんです。ウグイスの巣に自分の卵を置いて育てさせる・・母の不倫の子なんです」
司葉「それを最近、知ったわけか」
克子「いえ、子供の頃から。だから、自分の名前が嫌いで」
司葉「それじゃ、自殺の理由は別なんだな」
克子「理由と言っても、小さな事です。実家から離れた食品会社で事務をしていました。ローンでワンルームマンションを買って、自分なりに充実した生活だったんです。でも、食品偽装問題で新聞に書かれ・・」
司葉「関係してたのか?」
克子「仕入れの経理担当です。伝票合わせが主で、材料の中身などは知りませんでした。課長、役員が決定していましたから」
司葉「それで?」
克子「市や警察の調査が入って、経理のごまかしがあると・・新聞に掲載されました。知らないと言うと、担当者なのに怠慢と罵られました。マンションの周辺では白い目で見られ、家からは一家の恥だと責められるし・・会社はクビに」
話しながら、思い出して克子は涙声になる。
司葉「なるほど、ひどい目にあったようだな」
克子「すみません・・それで居られなくなって旅に出て・・」
司葉「カオルの歌が聴けた。悪い事ばかりじゃない」
克子「そうですね」
克子、司葉を見て微笑んだ。
司葉「名前が嫌いなら変えればいい」
克子「えつ?」
司葉「そうだな、カツミはどうだ?己に克つでも、克つ美しさでもいいし」
克子「克己・・己に克つ・・」
林を抜けて、見晴らしが良くなる。
司葉「県南地区開発計画というのがあって、中止にならなければ、この辺りにはゴルフ場、前方にはテーマパークの観覧車が見える筈だった」
克子「そうですか」
司葉「そういう施設は、ほとんどが赤字に苦しんでおる。夕張みたいに破産する自治体もまだ出て来るじゃろう。建設されていれば、自然を破壊した残骸の風景だったかな」
克子「司葉さん、その計画に関わっていらっしゃったんですか?」
司葉「まぁな、さて里山路だ。左折してくれ」
広い道に合流し、車が左折する。
○ 尾仁村、村長の家
果樹園、田畑、牧場を通り抜けて集落に入り、車は立派な家の玄関先に止まる。司葉と克己が車を降りると、玄関から山田村長(66)の妻(60)が現れ、にこやかに挨拶する。
村長の妻「かのさんの旦さん〜久しぶりやな〜」
司葉「ああ、忙しかったもんでな。今夜は泊めてくれ」
村長の妻「ええよ〜上がりんさい〜こちらは〜?」
克己「橋本・・克己です」
司葉「車に乗せてもらったんだ、今から宿を探すのも大変だから、公民館の部屋を貸してくれ」
村長の妻「幸子が泊まりで〜部屋が空いとるから〜ここに泊まればよか〜コーヒーと饅頭でええな〜」
玄関からあがり客間のソファーに座る。暫くすると村長の妻が盆にコーヒーカップとインスタントコーヒーの瓶、饅頭の箱を持って現れる。
司葉「ケーキはないのか」
村長の妻「ケーキは紅茶じゃなきゃ合わんやろ〜」
司葉「じゃ、紅茶とケーキにしてくれ」
村長の妻「切らしとる〜」
司葉「なら、最初からないと言え。村長は役場か?」
村長の妻「寄り合いじゃ〜いろいろともめとってな〜」
司葉「それで、公民館が駄目ってわけか」
克己「私、司葉さんを送ってきただけですから・・」
村長の妻「気にせんでよか〜夜は鍋にするけん、楽しみに待っててくんしゃい〜」
村長の妻、部屋から出て行き司葉と克子は外を眺めながらコーヒーを飲む。
司葉「尾仁村の古い連中は、ほとんどが山田姓で親戚なんだ」
克己「司葉さんの奥様も元は山田さん?かのさんと言われましたね」
司葉「いや・・老人の過疎村になりかけていたが、土地活用で子供たちも帰ってきたし、他から住み着く連中も増えてきてる。やけに人通りが少ないと思ったら、寄り合いだったんだな」
克己「やっぱり東北とは景色が違います」
司葉「冬に雪はあまり降らないからなぁ」
近くの公民館から騒がしい声が聞こえる。
○村長の家、居間
夜、村長の妻と着替えた克己が鍋の片づけをしている。肘掛椅子で向かい合って酒を飲んでいる司葉と村長。
村長「若い者の言い分も判るけど〜今のままでええと思うんや〜」
司葉「やりたいならやらせればいいんじゃないか?」
村長「そやけど〜牧場はミューを飼うと言うし〜果樹園はワイン作ると言うし〜田畑の連中はミルキーライスとか〜そんなに何でも出来んわ〜」
司葉「挑戦意欲があって結構と思うが」
村長「お互いが張り合っとるんよ〜それに市の連中を見返したいんやろな〜」
司葉「しかし、研究が大変だ」
村長「それが〜若い連中はインターネットで調べて〜資料ば作ってくる〜わしにはわからん言葉ばかりじゃ〜」
司葉「次の選挙じゃ落選だな」
村長「いやじゃ〜かのさんに頼んでくれ〜」
司葉「自分で頼め」
村長「冷たいな〜、そやったら明日、一緒にかのさんとこに寄るわ〜」
村長、酔いでよろけながら立ち上がって部屋の角に置いてある電話からかける。
村長「あ、幸子か〜わしや〜かのさんに頼みがあってな〜今夜、旦さんと若い女の人がうちに泊まるんや〜、そんで明日・・・・」
村長の顔から血の気が引く。司葉も緊張した面持ちに変わる。
村長「はい・・いえ、別に・・伝えます・・」
村長の声が落ち着きなく震えてる。離した受話器からのツーツーという音だけが部屋に響く。
司葉「もしかして・・」
村長「女の人と〜すぐ帰ってきなさいって・・・」
司葉「かなりか?」
村長「凄く・・」
司葉「今夜は聞かなかった事にする・・」
村長「あかん〜あかん〜後で何と言われるか〜」
テーブルにつまみを並べていた克己が困惑した表情で口を挟む。
克己「あの、村長さんが女の人と一緒なんて言われたから、奥さんが誤解されたのでは?」
司葉「そうだ、お前の言い方が悪い。もう一度電話しろ!」
村長「自分で掛ければいいじゃないですか〜」
司葉「いや・・それは・・」
村長「かのさん、待っているそうや〜、早く行ってやってください〜」
司葉「追い出すのか?」
台所から割烹着姿の村長の妻が現れる。
村長の妻「どうかされたんですか〜」
村長「かのさんが、これや〜」
村長、妻に向かって頭に両手の人差し指で角を作る。妻も緊張した面持ちになる。
村長の妻「幸子にか〜」
村長「旦さんにや〜女の人とすぐ来いって〜幸子は恐がっとった〜」
村長の妻「旦さん、克己さん〜何のお構いもしませんで〜」
司葉、苦々しい表情で立ち上がる。
○尾仁村から観音屋敷への細道
月明かりで細道を克己の車が進む。腕組みして何も言わない司葉を運転しながら克己が横目で見る。
克己「恐い奥様なんですか?」
司葉「世界で一番恐い。巻き込んで申し訳ない」
克己「いえ、単純な誤解ですから。司葉さんにはご迷惑ばかりおかけしましたし、慣れてます」
司葉「慣れてる?」
克己「祖母がよく祖父のサークルにいる人に嫉妬して。私が仲裁をやりました」
司葉「それは心強い・・」
克己「かのさんって、どういう字なんですか?」
司葉「いや、本当の名は由里なんだ。観音湖近くに住んでるから代々、尾仁村ではかのさんと呼ばれている」
克己「代々って?」
司葉「伝説めいてくるが、由里の家系は女の子一人しか生まれず、夫はよそ者と決まっているらしい。由里の父親も放浪の画家で、両親を台風の地滑りでなくしてから由里がかのさんになったわけだ」
克己「それで、かのさんの旦那さんと呼ばれていたんですね。それじゃ、娘さんがいらっしゃるのですか?」
司葉「いや・・由里とは再婚で・・あ、そこを左。そのまままっすぐ行けば入り口で、右側に駐車場がある」
克己「ここですか・・」
木造の新しい屋形。克己は大きさ広さに圧倒される。
○観音屋敷
克己が駐車場に車を止める。屋形の入り口から上品な中年男性、藤崎悟(58)がにこやかな顔で近づいてくる。藤崎を見て、司葉は顔を赤くし、車の外に出た。
司葉「ヤブサギ!お前か!」
藤崎「お元気そうで。まだ生きてらっしゃったんですね」
司葉「生きていたら悪いか!」
藤崎「いえ、由里さんの喪服姿を見たかっただけです」
司葉「由里に何を吹き込んだ!何で由里が怒っている!」
藤崎「とぼけて。私は由里さんの相談に乗っただけですよ。まぁ、説得に失敗しましたが、すべては会長の為です」
事情がわからず車を降りた克己に藤崎が視線を向け、克己は頭を下げて挨拶する。
克己「あの、橋本克己です。今日、旅の途中でたまたま司葉さんと知り合いました」
藤崎「初めまして、藤崎です。いい所ですよ。ゆっくりしていってください」
司葉「お前が言うな!由里が怒ってる理由を言え!まさか、昔の事とか・・」
藤崎「それもありますかね。あの聞き出す技術は天性のものです。勉強になりました」
司葉「それもあるって・・・それ以外は何だ?」
藤崎「話は長くなりますから中で。しかし由里さんのヒステリーは」
由里「誰のヒステリー?」
二人の横に和服姿の由里(35)が無表情で立っている。後ろに幸子(19)。司葉は青ざめ、藤崎も慌てて口を閉ざす。克子は由里の美しさに圧倒されていた。
司葉「あ・・あ・・ただいま・・」
由里「身を清めて1時間後に仏間でお待ちしております」
司葉「仏間・・」
由里「さっちゃん、お客様を案内して」
幸子「は〜い」
克己に幸子が近寄り、由里は背中を向けて離れようとする。克己は圧倒されながら焦って口を開く。
克己「あの・・私・・道に迷って・・それで・・」
由里、振り返って怪訝そうに克己を見る。
由里「懐かしい香り・・」
克己「えっ?」
初めて笑顔を見せ、会釈して由里が離れの方に去っていく。
○観音屋敷
玄関から入ると一流ホテル並みのロビー。幸子とボストンバックを持った克己が階段を上がって二階に行く。
幸子「かのさん〜綺麗でしょう〜」
克己「ええ、素敵な方」
幸子「お姫さまなんです〜鬼姫様。怒ると恐いんですよ〜、旦さん、今夜は大変〜」
克己「でも、年が離れた御夫婦ね」
幸子「殿様とお姫さまですから〜、殿様が欲張って〜尾仁村と観音湖を壊そうとして〜お姫さまが怒って〜殿様が心を改めて結婚されたそうです〜」
克己「よくわからないけど・・」
幸子「私も、あんまり〜頭が悪いですから〜」
克己「そんなことないわ」
幸子「そんなことあります〜、だから〜農場も牧場もお友達がいて〜楽しいです〜」
克己「そうなの・・」
幸子が案内したのは広い洋間。
幸子「お風呂は部屋にもありますけど〜露天風呂もいいですよ〜」
克己「匂うかしら?」
克己、恥ずかしそうに服の匂いを嗅ぐ。
幸子「ここは〜土や家畜の匂いが〜あふれてますから〜」
頭を下げて幸子が出て行き、克己疲れた様子でベッドに腰掛けた。
○観音屋敷 藤崎の部屋
和室。悠然と構える藤崎の前で、司葉がイラついている。
司葉「昨日、電話した時は普通だった。何でだ?」
藤崎「大場弁護士の事務所に、深夜3人組の盗賊が入りました」
司葉「話を逸らすな、ドジなオバケなんかどうでもいい」
藤崎「まぁ聞いてください。あのビルには四葉警備が入ってますし、根津君も住んでいます。すぐ御用になったんですが、その前に金庫が荒らされていました。どうやら大場弁護士が鍵を閉めていなかったようですね」
司葉、訝しげに眉を寄せる。
司葉「何か見つからない物があるのか?」
藤崎「いや、書類がバラバラになって、大場弁護士の記憶にない書面が出てきたわけです」
司葉「まさか・・」
思い当たる様子の司葉。
藤崎「会長から由里さん宛でしたので、大場弁護士が由里さんに郵送しました。由里さんは会長と連絡がとれなくて私に電話を」
司葉「その書面とは・・」
藤崎「自分のことは忘れて、好きな男と幸せになって欲しいとか。つまり離縁状ですよね。希望に沿うよう会長の弁護を必死で行いました」
司葉「弁護って何を・・」
藤崎「そこは、会長を私ほど知る者はおりません。過去の女性関係を心理学的に分析し、10年恋愛周期説を体系づけ」
司葉「10年恋愛周期説?」
藤崎「和美、前の前の洋子奥様、孝子、前の美由紀奥様、晶絵、美津子、そして由里さんと・・3ヶ月未満の浮気は除いています。一応、それ以外に思い出した分も説明に加えました」
司葉「つまり・・由里とは結婚して12年近くだから・・飽きたと・・」
藤崎「はい、諦めて身を引いてくれと頼みました」
司葉、憤怒の表情で立ち上がる。
司葉「あれは遺言状だ!半月前、ネズミに保管するように命じたものだ!わしが生きているのに開く奴がいるか!」
藤崎「なんだ、私はてっきり遺書だと思ってました。まぁ、似たようなものですね」
司葉「全く違う!」
藤崎「会長の女癖の悪さを知った後なら、ご逝去を聞いてもショックが少なかろうと、私の深謀なる思いやりでしたが」
司葉「それだけか?」
藤崎「何を疑ってるんですか」
司葉「好きな男とは自分の事を指してるとか言って、由里を口説いただろう。お前は由里に横恋慕しとるからな」
藤崎「いやぁ、そこまでは時間がなくて」
司葉「いい年をしてみっともない」
藤崎「会長にだけは言われたくないなぁ」
司葉、疲れたように座り直す。
司葉「それにしても、まずい事態だ。夫婦の誓いをわしが破った事になる・・由里にどう説明するか・・頭が痛い」
藤崎「会長には奥の手、必殺技があるじゃないですか」
司葉「何だ?それは」
藤崎「ひたすら土下座。それで由里さんを落としたんでしょう?」
司葉「二番煎じは・・じゃなくて・・ああ、胸も痛い」
藤崎「薬ならあります」
藤崎、ケースに入ったカプセル入りの薬をバッグから出す。
司葉「精神安定剤か?」
藤崎「いえ、安楽死の薬です。時間の誤差はありますが、私の遺書説で後始末が出来ます」
司葉、怒ってテーブルを叩く。
司葉「また日本に住めないようにしてやる!明日の朝、荷物をまとめて出て行け!」
藤崎「はいはい、渡航費用はお願いします。それで、そろそろ時間じゃないですか?由里さんが白装束で小柄片手に待ってますよ」
司葉「お前という奴は!・・怒鳴り過ぎて喉も痛い・・」
藤崎「薬ならありますが」
司葉「どうしても、殺したいのか!」
藤崎「特製バイアグラ」
司葉「何?」
藤崎がバッグから錠剤を取り出し、司葉に渡す。
藤崎「効果絶大、副作用なし。有効時間は3時間程度」
司葉「本当に効くのか?」
司葉、疑わし気に藤崎を見る。
藤崎「私が会長に嘘を言った事がありますか?」
司葉「7対3で嘘が多い」
藤崎「まぁ、これは私自身で使うつもりでしたから」
司葉「誰にだ?わしが死んだ後に、由里とか?」
藤崎「えっ?考えすぎですよ・・ハハハ」
司馬、藤崎を睨みつけるが、時計を見て立ち上がる。
司葉「時間がない、預かっておく」
司葉、部屋を出て行く。
○ 観音屋敷のロビー
ロビーでコーヒーを飲んでいる藤崎。風呂上りで着替えた克己が階段を下りてきて、藤崎に会釈する。
藤崎「確か、橋本さんだね。どうかした?」
克己「飲み物の自動販売機を探してました」
藤崎「自動販売機はない。待ってなさい」
藤崎が食堂に入り、コップと冷蔵庫からジュースの瓶を持ってくる。藤崎の前に座った克己、礼を言ってジュースを飲む。
克己「美味しい」
藤崎「添加物ゼロの果樹園ジュースだ。尾仁村は米自然栽培、無農薬で肉、鶏もブロイラーじゃなく牧場で育てている」
克己「素敵な所ですね。高級ホテルみたい」
藤崎「登録は法人の保養施設なんだが、会長と由里さんが管理してるから利用する社員はいないな」
克己「会長って、司葉さんは何の会長なんですか?」
藤崎「明正グループ。戦前は司葉財閥と呼ばれていた。橋本さんは歴史上の人物で誰が好きかな?」
克己「そうですね、織田信長に魅力を感じます」
藤崎「その信長を本能寺で殺したのが明智光秀。司葉家の先祖は光秀の血縁で明智正秀になる。しかし、正秀は山崎の合戦で光秀の招集を拒否して丹波の山中に籠った。権力争いを嫌い、秀吉や徳川家からの藩格上げも辞退して明治維新にも関わっていない。大戦ですら、戦争協力を歪曲に拒否した。名より実の精神が家訓で、明正は明智正秀の名からつけられている」
克己「初めて聞きました」
藤崎「会長は、医者に肺結核の診断書を書かせて徴兵逃れ。もっとも、その片棒を担いだ非国民の医者が私の父だがね」
克己「古いお付き合いなんですね」
藤崎「古いも何も、会長の妹と父が結婚して私が生まれた。つまり、私は会長の甥なんだが・・事情があって叔父甥の縁を切られいる」
克己「藤崎さんも明正グループの会社を経営されてるのですか?」
藤崎「いや、私は精神科医で心理学の教授だよ。あとはボランティアの劇団主宰などだな」
克己「平凡な事務員だった私には雲の上の世界です」
藤崎「だった?会社をやめたの?」
克己「はい、それで気分転換の旅行です。司葉さん・・会長さんはヤブサギさんと呼ばれてましたね」」
藤崎「人に仇名をつけるんだよ。私が藪医者で詐欺師だからとか。県南開発計画は知ってる?」
克己「ゴルフ場とかテーマパーク建設の計画ですね」
藤崎「そう。70を過ぎて名誉欲が出たんだね。功績を後世に残そうと県が提案した県南開発計画に乗ってしまった。会長は独裁者だったから、グループ内では誰も反対出来ない。私と教え子の学生が地域住民と反対運動を起こした」
克己「それで中止になったんですか?」
藤崎「いや、お忍びで視察に来て由里さんに一目惚れ。環境保護派に変身して計画を中止。半年後に責任をとって実権のない名誉会長になったが、実は由里さんとの結婚生活で仕事に興味を失ったからだ。不況の長引きで、今では計画を中止した英断が高く評価されている」
克子「会長さんって、幾つなんですか?」
藤崎「83歳だよ。ついでに言えば由里さんは38歳。ひどいと思わないか?45歳違いだよ」
克己「あまり・・聞かない組み合わせですね・・」
藤崎「だろう?犯罪だよ。私なら30歳違いだから釣り合うが」
丹前姿の司葉が廊下から現れ、克己の隣に座って藤崎を睨む。
司葉「何を話してる?」
藤崎「あ、会長。ご機嫌麗しいようで」
司葉「うるさい。克己さん、こいつの言う事は信用しない方がいい。今まで、どれだけ泣かされたことか」
藤崎「人聞きが悪い。私が何をしたと言うのです?」
司葉「劇団が大赤字になり、暴力団といざこざを起こしてアメリカに逃げ出したのは誰だ?」
藤崎「逃げたとは不本意な。たまたまの留学です。その証拠に博士号をとって帰ってきたじゃないですか」
司葉「劇団とヤクザの後始末をしたのはわしだ。聞いたことのない大学の博士号なんて信用出来るか。克己さん、何でこいつが心理学とか精神医学をやってるかわかるか?血を見るのが恐い、レントゲンは苦手、薬オタクだから医者の資格が欲しかっただけだ」
藤崎「由里さんの薬草はたいしたものです。とても敵いません」
司葉「もう、お前とは縁を切った!明日の朝、黙って帰れ!」
二人の様子に克己が戸惑いながら立ち上がった。
克子「私、部屋に戻りますので」
藤崎「明日、周辺を散策しなさい。気が落ち着くよ」
司葉「世話になったな。ゆっくり休むといい」
克己「はい、いろいろと有難う御座いました。おやすみなさい」
克己、ジュースの瓶とコップを持ち、二人に頭を下げてロビーを出る。藤崎と司葉が向かい合う。
藤崎「私に用事があったんじゃないですか?」
司葉「あっ・・さっきの薬だが・・まだあるか?」
藤崎「10錠ほど」
司葉「引き取ろう・・」
藤崎「では、1錠100万で」
司葉「高すぎる。10万出そう」
藤崎「50万」
司葉「15万」
藤崎「でも私は出入り禁止でしたね」
司葉「今回は許す。慰謝料を差し引いて20万」
藤崎「仕方ない、手を打ちますか」
藤崎、ポケットからケース入りカプセルを司葉に渡す。
司葉「お前は・・これは安楽死の薬じゃないか。そもそも何でこんな物を」
藤崎「わかりませんか?私が由里さんに呼ばれた理由が」
藤崎が憐れむような目つきで司葉を見る。
司葉「まさか・・」
藤崎「もし、会長じゃなく由里さんがここに泣き顔で現れていたら」
司葉「わかった、わしが処分する。慰謝料は取り消しで30万払おう。在庫はどれくらいある?」
藤崎「100錠作りましたから、残りは90錠ですね。家に置いています。原料が季節に左右されるし貴重なんですよ」
藤崎、司葉に袋に入れた錠剤を渡す。司葉、一つをじっくり眺めて袋に戻す。
司葉「由里の薬草を使ったな」
藤崎「えっと・・それはともかく・・小切手で3千万よろしく」
司葉「連休に高田一家とネズミ達を呼ぶことにした。お前も在庫を持ってきて合流しろ」
司葉、薬の袋を服に入れる。
藤崎「香織さんが亡くなって1年半ですね」
司葉「詩織ちゃんの様子はどうだ?」
藤崎「目の前で自分を庇って母親が車に轢かれたのですから・・何とか喋れるようにはなりましたが・・」
司葉「スピード違反の飲酒運転。何で執行猶予がつくんだ」
藤崎「高志君が減刑を申請したからですよ。彼の気持ちもわかります」
司葉「刑務所は贖罪にならないか」
浴衣姿の由里が現れ、司馬の肩に手を置く。
由里「お話は終わりました?」
司葉、由里の手に自分の手を重ねる。
司葉「ああ、そろそろ戻ろうと思ったところだ」
藤崎「仲直りが出来たようですね」
由里「あら、最初から喧嘩なんかしていません」
由里の顔が赤く染まる。照れたように司葉は由里の手をとったまま立ち上がる。
司葉「疲れた、寝るぞ」
由里「はい。悟さん、おやすみなさい」
二人、手を握り廊下に出て行く。残された藤崎、注ぎ足したコーヒーを一気飲みする。
藤崎「ちきしょう〜100万で突っ張ればよかった」
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