ベランダの鉢植えに水遣りをしている時、玄関のチャイムが鳴った。
覗き穴から外をうかがうと、宮田巡査がじっとこちらを見ている。私は急いでチェーンを外してドアを開けた。
「奥さん、お宅を訪ねて来たおばあさんがいるのですがね、なんとも要領を得ない話なんですわ。昔別れた産みの母親だとかなんとか、言うてるんですわ」
顔なじみの巡査の言葉に、私は慌て彼の制服の袖口をとってドアの中に招じ入れた。ドアを閉めてから「どうも」と言い、愛想笑いをした。
中庭を囲むようにして建っているマンションは、吹き抜けが煙突の役目をしていて、個々の玄関での話の内容は四方八方に届き、プライバシーが筒抜け状態になる。だから、聞かれたくない話は玄関先ではしないように、普段から注意している。
「その人、私の母親だと言っていますか?」
「ええ、自分が離婚した時、婚家先においてきた娘だと言ってるんですがね、少し痴呆が入っているような感じもありますんで、お連れする前にお話をしといたほうがいいとおもいましてね」
そう言いながら、宮田巡査は一枚の写真を持っていたファイルから取り出した。写真は変色し、ふちがところどころ破れている。それは丁寧に厚めのカード入れに挟んであり、幼子とすらりとした三十前後の女性が写っていた。年月を経て薄汚れた裏側には―昭和二十三年一月十五日、愛娘淑子とともに、多佳子一歳―と流麗な文字で記されていた。多佳子とは私の名前である。私は食い入るようにその写真を見つめた。記憶の糸を手繰り寄せて思いだそうと努めたが、その写真を見た記憶がない。しかし、その女の子が持っている縞の袋には確かに見覚えがあった。
「母と言う人は交番にいるんですか」
「ええ、今もう一人の巡査と話をしています。連絡先の電話番号を書いたメモを持っていましたので、そちらへ問い合わせましたら、息子だと言う人が出て、確かに娘の所へ逢いに行ったと言うのです。しかし奥さんのお宅は、この間、お葬式をなさったばかりですよね。ご主人と奥さんの双方の親御さんがもうご健在ではないとお聞きしていましたから、どうかと思いましてね」
顔なじみの宮田巡査は不審そうに首を傾げた。私は長らくPTA役員をつとめたので、地域の巡査と話し合う機会が多かった。その頃は誘拐事件が多く、派出所へ出かけては危険地域のパトロールの依頼をするなど、宮田巡査とも話し合う事が多かった。
「とりあえず、交番へ行きますわ」
私は急いでエプロンをはずし、サンダルを突っ掛けた。
「どこの家庭にも秘密の一つや二つはあるもんですわ、奥さん」
宮田巡査はドアを開けながら小声で言った。気遣いをしてくれている宮田巡査を後ろに、私は交番へと急いだ。心当たりはある。実家の一昨年亡くなった母は継母だった。
マンションから歩いて五分ばかりの交番で、実母と名乗った老婦人は、若い巡査を相手にタバコを片手に談笑していた。ガラス戸を開けると、その人は振り返ってじっと私の顔を見た。
「多佳子……」
そう言うと、タバコを灰皿にじりじりと擦り付けて火を消し、立ち上がった.
「この子です、娘です、確かに娘です」
その人は立ち上がると、私の手をとって言った。
「さあ、おまえのマンションへ行こう」
あっけにとられている私を抱くようにして戸口へと押し出した。宮田巡査がその人の顔と私の顔とを交互に見比べている。私は軽く会釈をすると、その人に押し出されて外に出た。
五十年あまり逢っていない母と娘の再会だった。なのに、平然と「娘です」と断言したその人をいぶかしそうに見ていた宮田巡査が後を追って出てきて言った。
「奥さん、何かあれば連絡してください」
私はもう一度、無言の会釈をすると、元気な足取りのその人の後に、複雑な思いでついて行った。私があれこれ言わなかったのは、世間の目がある事を、自分の心に言い聞かせていたからである。
老婦人はマンションの前で立ち止まると、「六階だったね」と振り返った。その目が潤んでいるように見えた。私は頷いて、先になって、エレベーターの前まで歩いた。その人は宮田巡査から返してもらったナイロン袋いりの写真を、大事そうに大きな手提げ袋の中へ入れた。そして、その袋の中をごそごそといじくっていた。
「六階です、ここです」
普段の私ではないような、か細い声でその人に声をかけて促した。婦人は何か探し物でもあるのか、まだごそごそと手提げの中をまさぐっている。
「あら、いい眺めだね」
六階の廊下に出ると、目の前に京都の町が一望のもとに見渡せる。婦人は感激したような声でしばらく周囲に広がった景観に見入っていた。夕暮れの中に、大きな伽藍聳えている。
「あれが東寺さんの五重の塔だね」
―東寺さん―、その言葉に、私ははっとした。お寺に「さん」をつけるのは京都独特の言い回しである。しゃきしゃきした言葉の合間に表れた「東寺さん」という言葉に、今までわだかまっていた物が取れていくようだった。
部屋の中へ入ると、その人は四つある部屋をぐるぐると何度も見に回った。そんな様子に戸惑いながら、私はお茶を入れた。
一生母には逢わない、逢えないものと心の中に刻んでいた。継母が継母を感じさせないように気遣って育ててくれた。また、周囲の徹底した気遣いもあり、実母の存在に気づかずに成長した。存在を知った時、私は成人していたが、心の片隅で、母はもうこの世の人ではないのだと自然に思い込んでいた。
「俊子はお前をこんな箱のような家に住まわせて、自分の子にあの大きな屋敷を継がせたんだね」
窓辺によって、東寺を見やりながら、低い声でその人は言った。俊子と言うのは継母の事である。
「あなたはほんとうに私のお母さんですか」
おずおずと私は尋ねた。
「おや、自分の実の母の事も知らないなんて、お前は親不孝な子だね。私はこうしてお前の小さい時の写真を片時も離さずに身につけているっていうのに」
私の目を覗くようにしてその人は皮肉たっぷりに言った。エレーベーターの入り口あたりからずっとまさぐっていた袋にもう一度手を入れ、何やら引っ張り出した。縞の袋だった。橙色の地色に茶色の縞模様がある。橙色は褪せて汚れ、辛うじて昔の色を忍ばせている。見覚えのある縞の袋だった。雛祭りの時、必ず継母の俊子がお道具と一緒にそれを出してきてお菓子を詰め、段飾りの横に立っている市松人形のもとに置いた。祖母が大切に使うんだよと言いながらお揃いの袋に、飴玉のつつんだのや雛あられを入れてくれた。
「これはね、お前の綿入れでんちを作ったときのはぎれでこさえたものなんだよ。おでんちは良く似合って可愛かったよ、ああちゃん、ああちゃんて、喋れないお前は私の事をよんでくれてね」
実母とは一歳の頃に別れている勘定になる。その時、祖母はあらゆるアルバムから、実母の写真を剥がしていた。実母の存在を知った時に、私は祖母の念の入れように驚いたが、それが私や継母の幸せのためにした事だと悟ると責める事もできなかった。
「ああ、おいしい。こんなおいしいお茶は久しぶりだよ。嫁はお茶を入れるのが下手でねえ。お前はやっぱり私の子だね.お茶を入れるのが上手だよ」
目を細めながらじっと私を見つめた。明るめのベージュのブラウスに薄茶のスラックスをはき、レースもようの薄緑のカーディガンを羽織っている。金の鎖のネックレスが皺の多い首を飾っていた。
「長い事、お前に逢いたいと思っていたけれど、やっと逢えて嬉しいよ。私はもう長くない命だから、死ぬ前に一度逢いたかった.この目でお前が幸せに暮らしているのをしかと確かめたかったのさ」
そう言いながら、テーブルの向こう側から私の方へ寄ってくると、その人は私の手をとって、大事なものを持つように丁寧に自分の方へ引き寄せた。そして、年老いてごつごつした手で撫ではじめた。
「この手だよ、私の可愛い娘、私の可愛い娘」
そう言いながら、涙をぽろぽろこぼした。
何が何だかわからない。ほんとうにこの人が私の母なのだろうかといぶかしく思う私も、婦人の涙につられて胸がいっぱいになり涙が頬をつたった。
「少し休ませておくれ、随分と遠くまできたものだから、疲れてしまってね」
婦人は急に思いだしたように、涙にくれて抱き合っていた私を押しやるとごろりとソファに横になった。クッションを枕に数分もしないうちに、寝息をたてはじめた。髪は黒く染めてあるが、根元のところは五ミリほど真っ白である。短くカットしてあるが、横になるとパーマをかけてない髪はばらりと分かれ、頭皮が透けて見えた。切れ長な目が、私に似ているかしらと、涙でいっぱいの目で婦人を見やると、実母と名乗るその人の顔がぼやけて見えた。
身綺麗にしているけれど、幸せなのだろうか。そうは感じられないと私は思った。どこか荒んでいるような雰囲気が感じられる。宮田巡査の言葉が思いだされた。
「痴呆があるようですからね……」
でも、もしそうだとしたら、その薄れかけた記憶の底に、一歳で別れた私の事を忘れずにいて、こうして訪ねて来てくれたのだと思うと、どっと涙が出てきた。
逢いたい気持ちを殺していた自分をそこに発見した。育ててくれた継母の俊子や、祖母に対して、その愛情に報いるために、実母を心の中で死んだものと考えるようにしていた。そして、そう信じる事を続けているうちに、心の中で母を亡き者としてこの世からはじき出していたのである。
ソファのそばに座って私は母の手をさすっていた。苦労した手であった。皺のもりあがりが痛々しい。日に焼けた手は、私のように優しい肌ではなかった。どんな経過で不意に私に逢いにきてくれたのだろうか。何を思って私に逢いにきてくれたのだろうか。
不意に母がふふふと笑った。楽しい夢でも見たのだろうか。年を経ると赤子に返ると言うけれど、本当にそうだ。まるで赤ん坊のような母だった。辛く苦しい思いをして暮らしているのなら、この家で暮らすように夫に話してみようと、私は考えた。夫の両親を看取り、実家の両親も亡くなった。子供達も成長して手もかからなくなっている。気がねする人はもういない。訳を話せば夫はきっと好きにすればと言っててくれるに違いない。勝手にそう思い描いて、私は心のうちにほのかに日差しがさしてくるような思いがした。目の前の母と、幼い頃、添い寝してくれた祖母とが、重なって見えた。
母と暮らした記憶がないのに、この愛おしさはどこから来るのだろう。産まれた私をやさしく抱いたであろう、細くなった母の腕を、そっとさわって撫でた。
電話のベルが鳴った。
「奥さん、おばあさんいますか。今、ご家庭からおばあさんを迎えにこられているのです。やはり痴呆だそうですわ。息子さんとこれからお伺いしますから。ええっ、寝てはりますか。それは困りましたな。ええ、しばらく寝させてからですか。待ってください.息子さんに聞いてみますから。 奥さん、遠くまで帰るらしいから、これから迎えに行くそうです。自家用車だから、車の中で休ませるいうてはります」
しばらくして、息子と名乗る五十がらみの夫婦がやって来て、丁寧に挨拶をした。
「大分ボケていましたね、変な事を言ったと思いますが、気になさらんで下さい」
「昔、別れた娘がどうのこうのと言うんですが、おばあちゃんは初婚でうちの人が初めての子供なんですわ。うちの人が怪我をした時、うちの人大工をしているんですけど、屋根から落ちて大怪我をしたんですよ、その時手がかかるので、施設に一年ほど預かってもらってから、こんな事を言うようになったんですわ」
「ほんと、あちこちの家に迷い込んで、あんたは私の別れた娘じゃと言うもんですから、どちらのご家庭でもおおもめしましてね。私も謝り通しですわ。こちらさんにもご迷惑おかけして申し訳ありません」
夫婦は代わる代わる話を継いで、しきりに謝った。早く暇乞いすると言う夫婦を引き止めて、私は実母だと言ったその人を少しでも長くこの家で休ませてあげたいと思い、世間話をした。
小一時間ほどして、目が覚めた老婦人は、何事もなかったようなあっさりした態度で、私に挨拶をし、二人に伴われて帰っていった。
その人が寝ていたソファに根元が五ミリばかり白い毛髪が数本張りついていた。細いしなやかなその毛髪を、私は捨てる事ができなかった。大事に半紙につつんで鏡台の奥にしまった。
それから、私はアルバムを引っ張り出して、丹念にページを繰った。継母の俊子が丁寧にこしらえてくれたアルバムは私の宝物であった。妹の朋子がうらやむほどきちんと整理してあった。思えば実の子でないからこそ手をかけ、あらゆる事を尽くして、私を育ててくれたのであろう。その心遣いをありがたく思いながら、やはり、俊子にとって朋子がたった一人の実の子だったのだと一抹の寂しさを感じる。朋子に対しては、実の子であるからこそ、おざなりな事も許してもらえると、俊子は思ったであろうからアルバムもそこそこにしたのだろうと思う。そこまで、考えが及ぶと、私は先ほどの老婦人が恋しく感じられた。ぞんざいな口調であった。実の子にわがままを言うように、素直に言葉を繋いでいたのが妙に嬉しく懐かしく感じられた。
雛祭りの写真のページを開いた。大きな虫眼鏡を持ってきて、私はその五段飾りや段の下のお手玉やおもちゃの間を覗いた。大きな毬のそばにうっちゃってある縞の袋が目にはいった。私はどきどきする胸を押さえて虫眼鏡を縞の袋に合わせた。まぎれもなくそれは、白黒の写真ではあるが、先ほどの婦人が手にしていた縞の袋であった。そして赤子の頃のアルバムを開いて繰っていくと、オムツやおもちゃの類の雑多な写真の中に埋もれ加減に、縞のおでんちを着た熊の縫いぐるみがちょこんと座っている。婦人の話が思いだされ、じわりと瞼が熱くなってきた。
しばらくして、老婦人を連れて帰った息子の嫁なる人から、手紙が届いた。丁寧に記した手紙の中で、その時、縞の袋について尋ねた私の問いには、
「縞の袋は、施設でお世話になって家に帰って来た頃から、時々手にしては飽かずにながめている事がありました。どうしたのと尋ねても何も答えないで、反対に隠してしまうのです。痴呆で半分記憶がはっきりしない姑は、その事を答えられないのだと思います。記憶がはっきりする時もあるので、折にふれては聞いてみますが、期待しないでください」とあった。
マンションの窓から東寺を眺めながら、私は実母の事を考える事が多くなった。
私の事を考えて、私の年齢と同じこの五十三年間を生きてきた女性が確実にいた。その存在は、平穏だった心の泉に石を投げ、小さな波紋をおこし、今では大きなうねりにとなって私をも揺らせている。
「てだてはある」と、私はもう一人の私に呟いた。
夕焼けに染まった茜の空に、東寺の五重の塔と大伽藍が聳えている。
巣に帰る鳥達がその上を黒い塊となって、ねぐらをさして飛んで行った。
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