「 ラブレター 」



 この頃、無性に手紙が書きたい。


 うら若き乙女の頃に、恋した初恋の人に書きたい。秀才で某有名国立大学ヘ行った人。前髪をかきあげて、じっと私の目を覗き込んだ長身の彼、涼しげな目をした人だった。


 私が、高校一年生の時だった。彼は三年生で大学入試を控えていた。


 彼の合格を祈って、私は思いを込めて千羽鶴を折った。


 木枯らしが戸の隙間から忍び込んできて、鶴を折っている私の手を凍えさせるほどの夜、鶴を折り続けた。折りながら、この熱い思いが、彼に伝わりますようにと願っていた。両親に早く寝るように叱られながら、ひたすら折り続けた。


 当時、私は汽車通学をしていた。学校まではたっぷり一時間半はかかる。朝は六時に起きて自転車で五十分かけて国鉄(今のJR)の駅へ到着。そこから汽車に乗り三十分、下車して学校まで徒歩で十五分かかった。帰宅はいつもクラブを終えてからで、家に着くのは八時を過ぎていた。


 予習復習を終えると、鶴を折る時間はおのずと限られてくる。毎夜二時ぐらいまで折っていた。それでもようやく一カ月ぐらいで千羽を折りあげた。


「友達と二人で折りました。合格をお祈りしています」


と、一人で折った事を隠して、嘘を言ってプレゼントした。


 彼のお母さんから、丁重なお礼の手紙が来た。心がこもっていてとても感激した。


 憧れの彼からも手紙が来た。男性とは思えないほど、美しい文字だった。


 もう一通、一緒に折ったと名前を告げた友達の家にも、手紙が届いていた。二人で手紙を見せ合った。


そこにある文章は二通とも全く同じ文章だった。一字一句違いは無かった。私たち二人、どちらにも気遣いをしたのだろう。彼の気遣いを思うよりも、その手紙に、とても落胆したのを覚えている。


 千羽鶴への願いもむなしく、彼は入試に失敗し、私は自分の初恋にさよならをした。




 今、私は幸福である。幸福と言われる部類にはいるだろう。夫にも子供にも恵まれている。


 もしも、初恋の彼と結婚していたら、こうは気楽な生活はできなかったであろう。


 憧れの彼は、その後某有名国立大学ヘ入学を果たした。卒業して、一流企業に就職した。外国へも技術指導に行くという、エリートである。結婚もした。学生結婚らしい。土地を買って家も建てた。男としてなかなか甲斐性がある。外からを世間の常識で判断すれば、私の目は確かだったのだ。しかし、エリートの嫁さんは大変だと思う。私には務まらない。


 順風満帆の彼も、聞くところによると、あの前髪が無くなっているらしい。男にはもったいないような大きな瞳、彫りの深い顔、前髪が無くなったらどうなるのだ。


「二十年ぶりにあったら、前髪無くなっとたで……。ぜーんぶ無かったで……」


 仲の良かった女友達が、電話の向こうで無慈悲に笑う。私の熱い思いを知っている友達である。こういう時の友達は残酷だ。人の不幸を楽しんでいる。


――憧れの素敵な彼が、あんなに変貌しとったで、どうする?――


 笑いの中にそんな私への詰問が見え隠れする。


「おなかどうやった?」とは、怖くて聞けないでいる私に、


「達磨さんみたいな顔になってた」と念を押すように言う。


 ――なにかストレスを抱えてはるのやろうか。人間関係で苦労してはるのかしら。病気しはったんやろうか――


 私の思いは、彼の人生の上を駆け巡る。


――浦島の亀を助けて、乙姫さんに玉手箱貰うてきたげなあかんな――


 切実に思う。今度はそれを憧れの君に、プレゼントしてあげなくては。




 あのダンディな彼が、前髪を無くしてどうしているのだろう。きっと悩んでいるだろう。考えると眠れない。夜な夜な、彼が夢の中に出てくる。高校三年生の詰襟の学生服を着た、りりしい彼である。髪がふさふさしている。丸坊主になった私が、黒髪の束を彼に差し出している。ところが彼は首を振って受け取らない。私はセーラー服姿の麗しい乙女に戻っている。哀願するようにして、黒髪を彼に手渡そうとしている。


「どないしたんや、しんどいんか」


 うなされていたらしい。傍らの夫の声で目が覚めた。


「なんや、訳のわからん事、叫んでたで。昼も夜もにぎやかなあ、あんたは」


「もうちょっとで、ええとこやったのに」 


 悔し紛れに、夫に文句を言う。


「ねえ、あなたは、髪ぬけへんね」  


 夫の髪はふさふさしている。


「いや、だいぶん後退してきた。あんたが僕に苦労かけるからや」


 ひょいと彼が、前髪をかきあげると、そこは日本海のリアス式海岸のようになっている。頭のてっぺんに向かって、額がぐんと侵食していた。


「ほんなら、髪が無くなるのは、奥さんが苦労かけるからなん?」


――私の心わからんかった罰や――と憧れの彼の頭を想像しながら思う。きつそうな奥さんの顔を想像してみる。私は奥さんの顔を知らないのだ。


「はよう、おとなしく寝んと、明日早いで」


 言ってからしばらくして、夫は気持ちのよさそうな寝息を立てた。


 ――自分で起こしといて、それはないわ――と憤慨しながら、夢の続きが見られますようにと、私も目を閉じた。




――お変わりありませんかー―


 手紙の書き出しに悩む。変わっているの知っているのに、これはないなあ、と思う。




 薄いピンクの小花模様の便箋を買い、封筒も凝ったのを選んだ。準備万端整っているのに、ペンが進まない。悪戦苦闘している。


「手紙くれるんか、ひさしぶりやなあ」


 夫が通りすがりに言う。


 そう言えば夫には、たくさんの手紙を書いた。「愛しています」ばかりを便箋に連ねて、それを十枚ぐらい出すのは常だった。喧嘩も和解も手紙だった。


 私は結婚して夫の家で生活している。もう二十六年になる。十年ほど前、初めて母屋の押入れの天袋をあけたら、青いビニール袋の膨らんだ物がほうり込まているのを発見した。それは無造作に投げ入れられていて誇りまみれだった。誇りを払って、開いてみると手紙の束。ラブレターだった。なんと私の出した手紙である。ゴミ同様の扱いに唖然とした。憤慨して夫に詰め寄ると、


「これに入れといたら、ゴキブリも手出さへんからなあ。一生きれいなままや」


 と、夫の自慢そうな顔。しかし私は知っていた。数少ないほかの女性からの手紙は、ちゃんと饅頭の空き箱に入れてしまっていたのを。それは、夫が学生時代に使っていた、机の抽斗の、一番奥に大事そうに入れてあった。これは結婚してすぐに発見したが、知らないふりをしておいた。そして、家を新築した時に、机ごと廃棄してしまった。


「あの机、思い出が一杯やったのになあ」


「使わん壊れた机置くほど、家広くできないからね。建蔽率の関係やから我慢して」


 こんなに、優しく言えるのは、夫を愛している証拠かしらん。




 それにしても、私は、昔の憧れの君に、いまだに手紙を出せないでいる