「 太一と蛇 」


 

「太一、ゴリ番やぞ」

 父の声が、寝ている太一の頭上で響いた。

「はよう、起きろ」

 父の叱責するような声音に、太一は慌てて飛び起きた。すぐに起きないと、何が飛んでくるかわからない。太一の父は、口より先に手がでる。

 ゴリの番はずっと祖父の役目だった。

 その祖父が百歳まであと二年を残して、六月にぽっくりと大往生してしまった。

 太一は、祖父が大好きだった。祖父の昔話は、大変おもしろくて、いつも胸をどきどきさせながら聞いた。

 祖父の忌明けが終わると、父は漁を再開した。太一は祖父のしていたゴリの番をすることになったのである。 

 夏休みは、朝の六時半に村の会議所の広場に、小学生と中学生の全員が集まる。そしてラジオ体操をする。それが終わると家に帰って、午前十一時までは外出禁止である。学校の規則で、午前中に家で宿題をする事になっているのだ。規則を破ると、班長をしている中学生から叱られる。この規則は、村中の家が守っていて、午前中は子ども達に家の仕事の手伝いさえさせない。

 だから午後になると、子ども達は一斉に表に飛び出してくる。たいがいは寄り集まって神社の境内で遊ぶ。

 遊びたいさかりの、六年生の太一には、ゴリの番は辛い。皆が神社の境内で思い思いに遊んでいるのかと思うと、父がうらめしくて仕方がなかった。しかし、そんな事には一向お構いなしの父は、子どもを手足のように使い、太一を見ると必ず用事を言いつけた。言い付けを聞かないと、母親が怒鳴られるか、平手が飛んできた。

 川原につくと、本流に並行して、父が作ったゴリ用の細い水路が目に入った。簾が上流と下流にきちんとさしこまれている。下流の簾は「入」字型になっていて、山形のところが、一センチばかり隙間が開けてある。ゴリはここから中に入るが、上流は簾で止められているため、入ったが最後、ここから逃れられない。

 ゴリの簾(す)は、竹を五十センチの長さに切り、それを直径五ミリぐらいの竹ヒゴ状にして、簾にするのだから、気が遠くなるほど、竹ヒゴを作らなければならない。来る夜も来る夜も、竹を削っている父を見て、太一は感心するばかりだった。それができあがると、筵を編むように、竹ヒゴを簾状に編んで行く。この作業も長くかかる。これらは冬の間の夜なべ仕事で、春になるといつも新しいゴリの簾ができていた。

 太一の父は手先が器用なのか、アイディアが豊富なのか籠からゴリ収集の生簀箱を作り、果ては投網まで自分流に編んでしまう。

 ゴリのような小魚を煮るのは母にまかすが、大きい魚をさばくのは父がした。鯉やなまずのたぐいから、鶏や兎まで上手に料理をした。

 ゴリは浅瀬を昇る習性があるので、人工水路に呼び込み、川を昇らせ、簾(す)の中に誘い込んでとるのである。

 何事も大きい事が好きな父らしく、引き込み用の水路も、人より大きい。鋤簾で砂を掻き出し、石ころだらけの中洲に、水路をつくるのである。父の簾は村人のより丈も長く幅も広い。砂で埋め込む部分を深くするので、手作りでより長い簾を作っているのである。以前水路を作っている所を見たが、一時間近くかけて丁寧にこしらえていた。

 そんな父の作業を見るのは、太一は退屈しなかった。 

 上流の簾の片隅に、子供がひとり寝転んで入れるような大きな生簀箱がしつらえてあり、昇ってきたゴリはそこに留まるようになっていた。箱は高さ五十センチ、幅五十センチ,長さ八十センチの大層なもので、高さの三分の二を河原の砂に埋め込まないと、浮力が働いて浮かび、箱は流されてしまう。箱を埋める作業もたいへんだった。

 村人は最後にゴリを収集する時、蓼を取ってきて揉み、ゴリを下流へ追いやって、ざるを置いて掬う。

 父はその作業を省くために、生簀箱を作ったのである。難点は、水を含んだ箱はとても重くて運ぶのがめんどうな事である。いちいち家に持ち帰ることができないので、盗まれないように、川原から上げて、草や竹笹を被せて藪の中に隠しておく。

 太一は子ども心に、こんな大きい箱はだれも盗っていかないだろうと思った。 

 父の仕掛けは大きいのでたくさんのゴリが入る。ごい鷺がきてゴリをとったり、ハス釣に来た釣り人や村人が、生簀箱の中のゴリを掬っていく事もしばしばある。ゴリ番はそれを見張るのである。

 祖父はいつも河岸から河原にせりだしている、どんぐりの大木の陰に筵をしいて寝転んでいた。そして呟いた。

――魚が水面に輪を書いたり、銀色の腹を出して飛び跳ねるのをみていると、わしは極楽にいるようじゃ。ときどきはどんぐりの青い実が落ちてきて、頭にあたったりするが、それでもここは風が通ってすずしゅうて極楽じゃ―― 

 

 祖父には極楽でも、太一はゴリの番が嫌でたまらなかった。木陰に寝そべって、ゴリの簾を終日見張っているのは、苦痛でしかなかった。

 救いは、週三回の水泳日だった。その水泳の日は、村中の子どもたちが、太一がゴリの番をしている少し上流で泳ぐ。太一も番をしながら、一緒に泳ぐことができるのだ。そこは、野洲川が琵琶湖へ入いる河口であるから、、結構な深みもあり、水も澄んでいる。格好の水泳場所だった。

 水泳日は、中学生が監視役で、村中の子供達二十数人がそこで泳ぐ。深いところで泳ぐと水はひんやりと冷たく、魚が太ももをつついてきたりする。体長三十センチほどのハスの群が、太一達の体の間をすり抜ける。魚を捕るのが上手な子もいて、巣穴からうなぎをひっぱりだしたりする。浮きじゃこと呼ばれるモツなどは手掴みで捕まえる子もいた。小さい子ども達は、それをじっと見て、漁のやり方や楽しさを覚えていくのである。

 まれに木の上から蛇が落ちて来て、一緒に泳ぐことになったりもする。そんな時、女の子や小さい坊主達は、キャアキャア騒ぎたてて、逃げまわる。中学生達は、蛇を追い回して騒ぐ。蛇はS字を書くように体をくねらせて、逃げまどう。ワアーワアーと声を上げながら、石を投げたり、棒切れで水面を叩いたりして大騒ぎだ。しかし、蛇を殺したり傷つけたりはしない。蛇は最後には岸へ辿りついて、藪の中に姿を消す。恐れをなしてか、蛇はそれから暫くはでてこないのであった。

――まむしか青大将か見極めないかんぞ――

 蛇が出た日は、子どもたちは祖父のところへ集まってくる。みんなで蛇の大きさや逃げる様子をいいつのって、いつまでも興奮がさめやらないのであった。

 子どもたちが少し落ち着いた頃、祖父は必ず、静かな低い声でこう付け加えた。.

――このあたりにはなあ、蛇の総大将がおってなあ、そいつにだけは逆ろうたらいかんぞ。そんなに大きな蛇ではないが、あとできっとひどい目に合わされる。尻尾に銀色の輪が入った蛇でのう、時々人前で蛙を飲み込んでは、強さを誇示しよる―― 

 

 その日、弁当を食べてから、太一はゴリの簾(す)から離れて、藪に近いところの大木の木陰に、茣蓙をしいて寝転んだ。天気はカンカン照りだったが、空気は湿気を含んで、肌にじっとりとまとわりついてくる。木陰にいても、いがぐり頭の毛の先から、汗が滴り落ちた。風がやんで空気がどんよりしている。

 「夏の友」を広げて、宿題をこなそうとするが、なかなか身が入らない。雑木にすがって鳴いている蝉の声が、太一の耳の奥にとどまって、ワアンワアンと響いている。

 寝転んで石に耳をつけると、ペタンペタンとへんな音がする。目だけをその方向に動かすと、二メートルほど先から、蛙が太一めがけてやってくるところだった。大きな殿様蛙だ。まだらの模様が保護色で変化している。ベージュと焦げちゃが入り混じっているのだ。どうも川原の石に体色を合わせたらしい。

 蛙は太一の存在を察知したのか、一メートルほど先でピタリと止まった。太一はじっと蛙を見つめていたが、弁当の握り飯を食べたあとの満腹感と、けだるい夏の空気とで睡魔に襲われていた。

 太一が身動きしないのを確かめて安心したのか、蛙が鳴き出した。

「雨降れ、雨降れ」

 太一には、蛙の鳴き声がそう言っているように、聞こえた。蛙の声を子守唄に、太一はまどろんでいった。

 ふと気がつくと、蛙の声がしない。そっと目を開けると、さっきと同じ位置で蛙が身じろぎもせず、じっとしている。

「お前鳴かんのか……」

 太一が、蛙をびっくりさせないように、小さい声でいった。

 しかし、蛙は太一の声に反応せず、くりくりした目玉をじっと同じ方向にむけたまま、置物のようである。太一は小粒の砂を蛙の十センチばかり手前に飛ばしてみた。しかし蛙は身動きひとつせず、太一の誘いにものらなかった。

「お前へんやなあ」

 呟きながら、蛙の視線の延長線上を辿ると、そこに何かがいる。蛙から一メートルのところに何かいるのである。午睡からさめたばかりの目を見開き、じっと凝らしてみる。と、大小の石の間に体を滑り込ませて、青大将が身構えていた。首をもたげて口を少し開けている。ちろちろと赤い舌が揺らめいている。良く見ると舌が三本もある。舌は揺れているが、体は微動だにしない。小さい点のような目が、蛙を射すくんでいた。体は地面にしっかりと這わせている。石の間にある蛇の体に、力が入っているのがわかった。太一も射すくめられたように、体が動かなくなった。蛇は熱い石の上は好まないから、たいていは木の上か、岸から水の中を泳ぐかで、こうして川原を這う事はめったにない。きっと、蛙の鳴き声を聞いて、藪から這い出し、獲物を獲るために、川原へ出てきたのであろう。

「逃げろ」

 太一は蛙に向かって言った。

「シッシッ」

 太一は、今度は蛇に向かって言った。蛇は首をもたげて、シャーッと威嚇した。

 太一は、蛙の面前に小石を投げた。しかし蛙は動かない。蛇に見込まれて、もう失神しているのではないだろうか。 なんとかしなければ、蛙があぶない。太一の心はあせる。

――蛇の総大将がおってなあ――

 祖父の言葉が脳裡を横切った。視線を蛇の頭から胴体にそって移し、尻尾を捜した。ひときわ大きな石の陰に蛇の尻尾はあった。太一は、胸に矢を受けたような衝撃を覚えた。痺れが走り、同時に寒気が背筋を駆けぬけた。その尻尾にはまぎれもなく、銀色の輪が太陽の光を浴びて、にぶく輝いていた。

 その瞬間、太一は立ちあがった。太一の手は足もとの石を拾い上げ、蛇に向かって投げていた。蛇は太一に向かって進んできた。後ずさりしながら太一は大声で叫んだ。

「逃げろ、逃げろ、カエル、逃げろ」

 今度は、蛙の目の前に、バラバラッと小石を投げた。

蛙はその音で、失神状態から脱したのか、ゲゲともググとも聞き分けられない鳴き声を漏らして、藪の方へ一目散に飛び跳ねて行った。

 蛇は身構えたまま、太一の前で威嚇していた。今度は太一が蛙になる番だった。

 その時、ゴオーッという音が聞こえた。太一はあたりを見まわした。何も変化はない。太陽はギラギラと川原の石に照りつけている。竹薮は時々過ぎる風に、だるそうに揺れた。下流は水面がぬらっと光っていて、漣ひとつない。しかし、音はだんだん大きくなってくる。地震だろうか、足元が響いているように感じられる。

 すると、今まで威嚇していた蛇が、姿勢を崩し、するすると一直線になって、太一の脇をすり抜けて、上流の方向へすべってゆく。落ち着き払ってはいるが、太一は不気味だった。

 太一は蛇の行く先を見た。曲りくねった川の上流の水面に、白い物が見える。それは百メートル近い川幅いっぱいに張られた、ゴールテープのように見えた。

 太一はじっと目を凝らした。太一の立っている川の水面より盛り上り、上下しながら白い帯はこちらへやってくる。それはまさしく、洪水だった。

――上流の山で雨が降ると、翌日にはその雨が川となって、このあたりへたどり着く――

 祖父の言葉を思い出したとたん、足が震えてきた。

「流される……」

 太一は、はじかれるように筵を掴むと、父のゴリの簾(す)へ向かって飛んでいった。

 簾(す)を、埋め込んだ川原から引き抜こうとするが、じょうれんで丹念に作ってあるために、なかなか抜けない。太一の脳裏に簾や生簀箱を流されて、怒り心頭に達している父の顔が浮かんだ。

 渾身の力を込めて、砂利の中から簾を引きぬき、太一は箱の中に投げ入れた。そして体を全部乗せて、生簀箱を左右に揺すり、埋め込んだ川砂の中から引っ張り出した。

 ゴオーッという洪水の音が迫ってくる。太一の背丈ほどもある濁流の帯が、川幅いっぱいに走ってくる。それは水が総立ちして駆けてくるようだった。

 生簀箱を引き上げたが、水を目いっぱい含んでいる箱は、簾の重さも手伝って、持ち上げる事さえできない。 太一は足を踏ん張って、生簀箱を引きずった。川原の石の上をガラガラと音をさせながら引きずった。

 一直線に岸の方へ行くと、そこには深みがある。深さを推し量っている余裕はもうなかった。轟音と泡しぶきを飛ばして、洪水が迫ってきている。腰まで深みにつかりながら、箱を力いっぱい引き寄せた。その時、洪水は、魔人が走り込んでくるような勢いで進軍してきた。太一を捕らえた濁流は、一気に太一を首まで沈めた。太一は、右手で必死に岸の杭を掴み、濁流の勢いに流されそうになる箱を、死んでも放すまいと、満身の力を込めて引き寄せた。

 最初の洪水が太一に衝撃を与えたあと、濁流はなめるように太一のまわりを取り囲み渦を巻いた。濁流の泡は花のように大きくふわふわとまといついてきた。

――落ち着いてーーと、太一は自分に言い聞かせた。恐怖の一瞬、難を逃れたが、太一の下半身はがくがくと震えてとまらない。やっとのことで、岸に這い上がり、箱を引きずり上げて、太一はへなへなと座り込んだ。

「太一、大丈夫か」

 父の声がした。父が太く大きな手を出して、太一を抱いた。太一はびしょぬれの体で、父にしがみついた。顎が、がくがくと震えて、泣いているのに声がでない。

 その時、一匹の蛇が、するすると二人の足元をすり抜けた.

 

 蛇は、銀色の輪をにぶく光らせながら、ゆうゆと茂みの中に入っていった。